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プロレス界の伝説的に語られる存在になりたかった

――引退会見では「枯れて朽ちていく花ではなく、美しいまま散る花でいたい」とおっしゃっていましたね。

赤井 私は殴り合いや蹴り合い、ぶつかり合いをする試合が好きなので、自分自身がプロレスラーとしてリングに立つ以上は、打撃や投げ技を全力でやりたいと考えていて。でも年齢を重ねていくと、そのファイトスタイルを変えなければいけない可能性もある。それは本望ではないから、自分が思う最高の状態のまま、プロレスラーとしての幕を閉じたいなと。

 それにそのほうが、美しい思い出として皆さんの記憶に残れるとも思ったんです。例えば、安室奈美恵さんは芸能界をスパッと引退して、今でも伝説的に語られるじゃないですか。おこがましいかもしれないけど、私もプロレス界でそういう存在になりたかった。

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――ということは、大きなケガをしていたり、体の衰えを感じて引退するというわけではないのですね。

赤井 むしろ若い頃より今のほうがスタミナがあるんですよ。前はすぐに息が上がって、「ヒエー! もう無理!」みたいな感じでしたけど。

引退に対して、プロレスデビューを反対していた母の反応は…

――引退について、周りには相談していたのですか?

赤井 自分で決めなくちゃいけないことなので、周りに相談はしなかったですね。10周年で引退しようと決意したときには、坂口(征夫)さんに報告しました。DDTでの私の師匠として、一番近くにいてくれたので。

――10年前、プロレスデビューを大反対していたお母さまは、引退に対してどんな反応でしたか。

赤井 いつも私の試合を楽しみにしてくれていたから、「あ、そうなんだ」と少し寂しげでしたね。この10年間で、母もDDTやプロレスを好きになっていたんです。DDTの女性選手は私ひとりなので、「沙希ちゃんが辞めたあと、誰か女性選手を入れるのかしら」って運営側の心配をしていました(笑)。

 

 一方で、引退が決まって安心した部分もあるとは思います。娘がいつか大ケガをしてしまうんじゃないかと不安だっただろうから。

――最初は「プロレスデビューしたら絶縁する」とまでおっしゃっていたのに、この10年でお母さまもかなり変わられたんですね。