1993年3月、自民党の派閥会長が逮捕……小沢一郎の政治生命が尽きかけた「金丸脱税事件」とは?
小沢氏の番記者を務めるなど長年にわたって日本政治を取材し続けたジャーナリストの城本勝氏の新刊『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)より一部抜粋してお届けする。
(全2回の2回目/前編を読む)
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ゴールデン・トライアングル
永田町には国会議事堂をはじめ、首相官邸や議員会館、政党本部が建ち並び、政治団体や政治家の個人事務所が入ったビルも集中している。そのため、権力の中枢とも言われている。
なかでも、国会裏からの下り坂と山王日枝神社からの下り坂が合流するすり鉢状の地形の一帯は、ある時期「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれていた。
日枝神社からすり鉢の底に向けて坂を下ると、正面には金丸事務所がある高級マンション「パレロワイヤル永田町」、その隣に小沢の個人事務所が入居している「永田町十全ビル」、さらにその向かい側には竹下事務所が入る「永田町TBRビル」があった。
竹下内閣ができた1987年から小渕派と羽田派に分裂する1992年までは、竹下派が自民党最大派閥として権勢を振るっていた。
その派閥会長の金丸とオーナーの竹下、それに幹事長を務めた後に派閥の会長代行となった小沢の3人の名前から「金竹小支配」とも言われていた。この三角地帯に立つと、金竹小の事務所が一望できる。そのためゴールデン・トライアングルと名付けられた。
実際、政局に大きな動きがある時などは、私たちはすり鉢の底にあたる交差点付近から3事務所の人の出入りをチェックしたりもしていた。
しかし、この三角地帯に何時間も立ち尽くし、そのうえ何の成果も得られない日のほうがはるかに多かった。
諸説あるのだが、「金竹小」との名言は私の知り合いの新聞記者の発案らしい。ただ、その金竹小が一度に見張れるからゴールデン・トライアングルと呼ぶのには異議があった。私にとっては黄金の三角地帯どころか、貴重な時間が消えてなくなる「魔の三角地帯」バミューダ・トライアングルだったからだ。