「僕がやりたいのは政治を根本から変えることだ。そのためには自民党が1回下野するくらいの大改革が必要なんだよ」

 30年前、小沢一郎が記者たちに語った「政治改革の夢」とは? 小沢氏の番記者を務めるなど長年にわたって日本政治を取材し続けたジャーナリストの城本勝氏の新刊『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

赤ん坊を抱く30年前の小沢一郎氏(写真:筆者提供)

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政界再編の夢

 私の手元に1枚の写真がある。セーター姿で寛いだ小沢一郎が赤ん坊を抱いて笑っている。

 日付は1993年1月24日。撮影されたのは世田谷区・深沢の小沢の私邸。事務所を兼ねたその広大な屋敷の2階の座敷だった。小沢は、近所の鮨屋から取った鉢盛が並ぶ座卓の前で、ぎこちない素振りで生後4か月くらいの赤ん坊を抱いている。いかつい顔に精一杯の作り笑いを浮かべ、「可愛いねえ。お父さんに似ちゃだめだよ」と猫なで声で言う姿は微笑ましいというよりも、やはり少し怖い。

 この日、小沢邸にいたのは、「少し遅めの新年会だが、家族連れで来ないか」という小沢の誘いで集まった数人の記者とその家族だった。それぞれ所属が異なる会社で同時期に小沢を取材してきたいわばライバル同士だったが、既にみな直接の担当を外れている。

 私も1989年から3年半の「小沢番」を終えて、半年前に野党担当に代わっていた。

 3年以上も同じ政治家を取材していれば、さすがに、時には他社を出し抜いてサシで会ったり、ちょっとした特ダネをモノにしたりするようにはなっていた。だが「現役」の番記者の間は、「夜討ち朝駆け」の取材に追われる毎日は変わらない。

「いつ抜かれるか、手にした情報が間違っていないか」と、いつもピリピリした緊張感に包まれていた。担当を外れて「OB記者」になった後は、そうした日々の激しい取材競争とは少し距離を置くことができる。同じような立場の他社の記者数人で自然に、時折小沢を囲むような関係が出来上がっていた。それでも家族も一緒となると話は別だ。みな嫌がる家族を、それこそ土下座するようにして説得し、連れてきていた。

 そんなぎこちない空気を察したのだろう。これも珍しく同席していた和子夫人も、慣れない手つきで赤ん坊をあやす小沢を横目で睨みながら、「せっかくのお休みなのに、ご迷惑でしょう。ごめんなさいね」としきりに我々に気を遣っていた。