――その点が気になっていました。創業された当時、特殊修復をうたう同業他社はいなかった。その中で、どのように特殊修復の技術を向上させていったのでしょうか?
角田 今から18年ほど前に海外の防腐技術を導入しました。海外ではドライアイスを使わない代わりに、防腐処置を施している。そのことを知り、染谷が海外にわたって視察し、以後、防腐技術を勉強するようになりました。
それまでは水死のご遺体を修復するケースであれば、ある程度修復しても水分が上がってきてしまい、腹水がご遺体から出てきてしまうことに悩まされていました。そのため、綿花を入れたり出したりして、お腹をマッサージしながら腹水を出すといったことをしていたのですが、やはりそれでも止まらない。
しかし、防腐処置が向上してからは、そうした事態を回避できるようになり、ご遺体の安置時間を延ばせるだけでなく、技術も向上していきました。
生前とかけはなれた姿で、火葬するのではなく…
――ほぼ独学で技術を向上させていったわけですか。
角田 何もないところからのスタートですよね。たとえば、電車に飛び込まれて亡くなられた故人さまがいらしたのですが、激しく欠損されていました。なんとか欠損しているところをカバーできないかと考えるのですが、当時は専用のワックスなどもありません。透明で色付けがしやすく、それなりに固い素材はないかと考え、メンタームリップで形成したり、試行錯誤を繰り返しながら、今にいたっています。
染谷 生前とかけはなれた姿のまま火葬してしまうのではなく、最後にもう一度大切な人に会うための選択肢を作れないかという思いですよね。誰かが亡くなったとき、その方の人生に関わった人たちがきちんとお別れできる場を設けることが、葬儀の本当の意味ではないかと思うんです。ご遺族に安心感を抱いてほしい、その思いが私たちのイノベーションにつながっていきました。
修復依頼は年間で100件以上
――先ほど、納棺業務は葬儀全体の枝葉であると。ということは、統美さんは修復を手掛けた後、その葬儀に立ち会うことはないということですか?