大谷を単独で1位指名した日本ハムファイターズ
ドラフトの「目玉」となる高校生が、日本のプロ野球への入団を拒否してアメリカでプレーをした事例は過去にありませんでしたが、そのような選手が現れるのも時間の問題だろうと目されていました。
日本のアマチュア選手がMLB球団と契約するには、一度は日本のドラフトを経なくてはならないのがルール。翔平が希望するとおり、翔平がプロ志望届を出した上で、NPB球団が指名を回避し、その後MLB球団と契約するとなれば前代未聞の出来事です。
もしそれが成功例となれば、同様のコースを希望する高校生が続出するでしょう。球界には激震が走っていましたが、関係者のほとんどが、それが時代の流れであり、やむを得ないことだと受け止めていました。
そのため、各球団が回避して別の選手へと指名方針を固めていったのに対し、栗山監督率いる北海道日本ハムファイターズだけが、時代の流れに逆らうように敢然と立ち向かいました。
「大谷君には本当に申し訳ないけれど、指名をさせていただきます」という事前の発言のとおり、ファイターズは単独で翔平を1位指名したのでした。
「二刀流」と監督の「まごころ」でファイターズ入団に合意
入団交渉権を獲得したファイターズは、NPBで力をつけることがMLBでの活躍を確実にする近道だと訴えました。その主張を過不足なく伝えるために『大谷翔平君 夢への道しるべ』という30ページに及ぶ提案書を作成し、他国(韓国)での事例や、ファイターズからMLBへのポスティング移籍を成し遂げたダルビッシュ有のケースなどを挙げながら、メジャー移籍までの設計図としてまとめあげました。
翔平の心を動かしたといわれている提案が「二刀流」でした。投手と打者どちらにも非凡な才能を持つ翔平に、どちらも諦めないという斬新なソリューションを示したのでした。
当初は予定どおりMLBを目指すといわれていましたが、翔平自身の将来のために親身になってバックアップするという姿勢を徹頭徹尾訴えた栗山監督に、翔平は心を動かされたのだと思います。栗山監督のまごころに触れ、日に日に心境が変化したといいます。
翔平はついにファイターズ入団に合意。背番号はダルビッシュがつけていた「11」に決まりました。
二刀流をひっさげて世界を驚かせる――そのプランに基づいて翔平のチャレンジが始まります。
前例がない、根拠がない、早くどちらかに決めなければ将来はない……。そんな声を浴びながらも、翔平は着実に努力を続け、成果を上げていきました。栗山監督が翔平を信じていたから、翔平も自分を信じることができました。