ヤクザの組長の子どもとして生まれた若井凡人氏――彼が人生で唯一「ヤクザの子どもで良かった」と思えた出来事とは?

 ヤクザの組長の息子視点で、ヤクザ社会を描いたエッセイ『私は組長の息子でした』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

ヤクザの息子が特権を使って、出会った「有名レスラー」とは?写真はイメージ ©getty

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憧れのレスラーと対面

 これまで組長の息子の暮らしの実態を、色々とお話してきました。

 私はたしかに経済的には恵まれていたかもしれませんし、近所のおじいちゃん、おばあちゃんからお菓子をもらえたかもしれません。

 しかし、目に見えたメリットといえば、それくらいのものだったかもしれません。

 たとえば、学校でやりたい放題できたなんてことはありませんし、友人との関係もごく普通でした。組長の息子だから特別なことは何もなかった……、いえ、待ってください。そういえばひとつだけありました。組長の息子の特権を使って、有名人に会ったことがあったんです。

 昭和の時代、田舎に住む私たちの楽しみといえば、都会からたまにやってくる歌手のコンサートやサーカスなどの興行でした。何かとコンプライアンスが重要視される今と違って、当時はまだヤクザと興行が密接に結びついていた時代。父は興行関係の仕事はしていなかったようですが、プロモーターの知り合いがたくさんいたので、近くでイベントがあるたびに招待されていました。

 私も気になるものがあれば父についていったのですが、ある時、私の町に大スターがくるというニュースが入ります。

 そのスターとは、アブドーラ・ザ・ブッチャー。

アブドーラ・ザ・ブッチャー氏。写真は2011年時点 ©getty

 昭和のプロレスファンならば、知らない人はいないでしょう。“呪術師”の異名を持つ外国人レスラーです。彼は悪役レスラーでしたが、どこかお茶目で憎めないところがあり、日本のテレビCMやバラエティ番組に出演するなど、当時はプロレスの枠を越えて人気を博していました。私もそんなブッチャーが大好きで、いつか直接見てみたいと思っていたのです。

 私はブッチャーがくると知って、父にそのプロレスの試合のチケットを頼みました。自分から誰かに会いたい、と頼んだのは後にも先にもこの時だけだったと思います。

 私の真剣な様子にほだされたのか、父は方々に連絡を入れ、リングサイドのチケットを入手してくれました。