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篠原涼子50歳に 『ごっつええ感じ』は「やっぱり怖くて泣いて」と…16歳で芸能界へ、乗り越えてきた「試練の数々」

8月13日は篠原涼子の誕生日

2023/08/13
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憧れのアイドルの存在

 昨年の紅白では、中森明菜のサプライズ出演も噂されたが、結局実現しなかった。幼い頃から歌が大好きだった篠原にとって中森は憧れの存在であり、《部屋中、明菜さんの写真を貼りまくって、いつか彼女と同じステージに立つんだ! と、勝手に決意してた。(笑)》という(『婦人公論』2000年4月7日号)。

 篠原は、地元・群馬の高校在学中の1989年、雑誌『月刊デ☆ビュー』の実施する「夏の特別オーディション」に応募して、その後所属する事務所の目に留まり、芸能界入りのきっかけをつかむ。翌年、アイドルグループ・東京パフォーマンスドール(TPD)の一員としてデビューした。

「GOLDEN☆BEST 東京パフォーマンスドール」

 芸能界入りが決まると、すぐに上京を決意し、地元の高校を中退している。だが、上京すればすぐに歌手になれるものと思っていたのに、デビューはアイドルグループの一員としてであり、歌だけでは活動できなかった。もともと団体行動が苦手なうえ、当初は仕事もあまりなく、寿司屋でバイトしながら「このまま私はここでずっと働くのか……」と落ち込んだりもしたという。

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「突然の解散宣言」計画もあった

 しかし、そのうちにTPDは原宿のライブハウス・ルイードで1日2回ライブを行うようになり、公演の合間もすべて練習時間にとられ、休みはまったくなくなった。メンバーたちはみんなソロになりたがっていただけに、だんだん現状への不満が膨らんでいく。ついには、かつてキャンディーズがマネージャーにも内緒でステージで突然解散宣言したのにならって、自分たちもライブ中に実行しようかと話したりもした。だが、結局、最後まで誰も言い出せず、不発に終わったという(『婦人公論』前掲号)。

©文藝春秋

 小室哲哉はまだTPDがデビュー直後でライブの客が10人ぐらいしかいない頃から、篠原に目をつけていたらしい。1991年には小室の所属するユニット・TMNのミュージックビデオに出演し、それが「恋しさと せつなさと 心強さと」へとつながっていく。彼女がTPDを卒業したのは1994年9月だが、「恋しさと~」のリリースはその直前の7月であった。TPDのみんなにも「おめでとう」コールで見送られながら、本格的にソロ歌手の道を歩み始める。

 前後して1991年12月からは、フジテレビ系のバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演を始めていた。あの番組をリアルタイムで見ていた世代には、このときの天然キャラのイメージがまだ残っているという人も多いだろう。