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『ごっつええ感じ』は試練だった

 当の篠原からすれば、当時お笑い界の最前線にいたダウンタウンをはじめ芸人たちがしのぎを削る『ごっつええ感じ』への出演は試練であった。後年、《あれは本当に、お化け屋敷にいきなり放り込まれたみたいな状態でしたよ~(笑)。泣きながら入って、入ったらやっぱり怖くて泣いて。当時は自分がどんなふうに見られるか、計算してる余裕もなかった。でも、途中からは『お笑いってこういう感じ?』って少しわかってきて、狙い始めたんですよ》と顧みている(『anan』2013年9月11日号)。

篠原涼子、伊東美咲、蛯原友里、栗山千明 ©文藝春秋

 歌手活動が多忙になったため、1997年に番組から卒業するに際しては、《楽しい仕事も永遠には続かないんだな》と感じるまでになっていた(前掲)。もっとも、アドリブができないので、バラエティは苦手とのちになっても語っている。ドラマにもTPD時代から単独で出演していたが、芝居には全然興味がなく、いやで仕方がなかったという(『婦人公論』前掲号)。

 しかし、歌手としては「恋しさと~」のあと何曲かヒットが続いたものの、しばらくすると途絶えてしまった。夢だった歌手活動が行き詰まり、それでも何かに力を注がねばいけないと強く感じた篠原が選んだのがほかでもない、芝居であった。

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初舞台に「もう幻滅」と…

 23歳のとき、初めて演技に自信を持てたできごとがあった。ドラマ『ナニワ金融道2』(1996年)にゲスト出演したとき、あるシーンを撮り終えたあとで、演出の石坂(現・宮本)理江子とプロデューサーの山口雅俊が主演の中居正広とともに「篠原、今すごくよかったよね」と話しているのが耳に入ってきたのだ。なおかつ、本人たちがそのことを直接伝えてくれた。篠原はそれがうれしくて、「演技、やってみようかな」という気になったという(『週刊朝日』2018年8月17・24日号)。

©文藝春秋

 2001年にはシェイクスピアの名作を蜷川幸雄が演出した『ハムレット』で初舞台を踏む。このとき、主要な登場人物のひとりであるオフィーリア役に抜擢された。公演初日、楽屋に戻ると1枚のハガキが置いてあり、そこには「あんなオフィーリア見たことない、もう幻滅」と書かれてあった。しかし、それを見た篠原の反応は次のようなものだった。

《悔しいっていうよりは、そうか、いいって言ってくれる人ばかりじゃなくて、こんなふうに思う人もいるんだって。それで、舞台が終わるまでの間、そのハガキを戒めのようにずっと飾っておいたんです。批判って一瞬は傷つくけど、傷ついたまま終わらせちゃったら、自分が凄くかわいそう。だから前向きに捉えて、次へのステップにしてるんです》(『anan』2015年9月2日号)