震災後1年間は、学校のイベントや課外活動が制限された
子どもたちが手伝い好きになった背景には「空白の1年間」があったからではないかと、鴻巣さんは考える。福島県では、震災後1年間は、学校のイベントや課外活動が制限された。運動会も規模を縮小して開催されたりしたことが影響したのだろうと。
「子どもたちが学校の活動の中で年下の子の面倒を見ることがなかった。本来は、そうした活動で子どもたちは成長したり、地域から認めてもらったりする。しかし、震災後は機会が減り大人も子どもを見る余裕がなかった。(手伝うことで)できることを見つけ、誰かに影響を与えることができる」
子どもたちの“お仕事”は「まかない」と呼ばれる。しかし、最初から定着していたわけではない。
「ある不登校の男の子がいたんです。『暇だったら、手伝って』と声をかけると、どんどん元気になっていった。マイエプロンまで持ってきました。感謝されることが嬉しかったんでしょうね。誰かに『ありがとう』と言われることがなかったんですが、自分ができることがあるとわかったのでしょう。今、その子は顔を見せませんが、何かあったら羽を休めにきてくれればいいです」
震災から7年。地域に変化はあったのか。
「本質的には、福島に流れている空気感は変わらない。復興自体、弱い人たちを置き去りにしている。前に進める人はどんどん先に行っている。逆に、震災前からいろんな生きづらさを抱えている人がいました。そういう人たちは震災前から辛い。復興は、震災の時、ある程度幸せだった人が基準になっており、どんどん差が開いていく」
ここ2年間で虐待は多くなった
震災後の子どもたちはどう育っているのか。
「新聞広告に『福島の未来を担う子どもたち』という言葉があります。大人が子どもにすごく期待している。しかし、子どもは自由です。福島に住もうが、出て行こうが、好きだろうが、嫌いだろうが……。福島のスティグマがある。復興のために刷り込んでいる。これは外からの差別というよりは、福島の大人たちの不安がそうさせている」
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一方、ソーシャルワーカーとして関わる虐待の案件も増えている。
「ここ2年間で虐待は多くなりました。不登校とセットだったりする。学校でキャッチできる家庭の問題なんですが、びっくりするくらいある。しかし、問題あるケースが問題とされていない。子どもの困難を『見える化』しないといけない。地域で頑張るしかないし、諦めた瞬間に終わりですから」
鴻巣さんは子どもたちができることを探す。「食器洗って」という言葉を投げかけたとき、ある子は洗剤を嫌がった。「洗った皿を拭くことはできる?」と問うと、「それなら」とキッチンに向かった。
写真=渋井哲也
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