「殺人と性犯罪以外はだいたいやった」――人生の半分をムショで過ごしたという異国の男は、なぜ更生できたのか? 山口組系組長から更生を果たし、現在は暴力団員の更生支援のために活動するNPO法人五仁會(ごじんかい)代表・の新刊『極道ぶっちゃけ話「山口組四代目のボディガード」の半生記』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む) ◆◆◆
54歳でやくざ引退→「弱きを助け、強きをくじく」第2の人生
54歳でやくざから足を洗ってカタギになった私は、普通免許などの資格を取ったりしながら、「これからどうしようか」と考えていた。元やくざの私が憚りながら、後世に何を残せるか、自分自身に問うていたのである。
やくざからすっぱり足を洗って映画産業に進出した安藤昇さんとは違い、すぐに結論は出なかった。
そんなある日、自宅の応接間に飾ってあった肖像画の大前田栄五郎と目が合った。たしかに合ったと感じたのである。
栄五郎は現在の群馬県前橋市にあたる上州・大前田村に生まれた幕末の侠客で、気風のよさとケンカの強さから「関東一の大親分」と評された男のなかの男である。栄五郎を主人公にした映画や小説もたくさんある。
肖像画はこの栄五郎の流れを汲む稲川会の二次団体・上州大前田一家八代目だった小田建夫総長から賜ったものである。現在、大前田一家は解散して存在していない。
「五仁を為すべし」
栄五郎は私にそう言った。
なるほど、そうか……。
五仁とは、仁愛、仁義、仁情、仁誠、仁徳の5つの仁を持った侠たちの精神である。
弱きを助け、強きをくじくとは日本古来の男の道である。栄五郎のように本来の任侠道を、あらためて目指そうと思った。
もちろん歴史に名を残す清々しい男たちは栄五郎のほかにもたくさんいる。鬼平こと長谷川平蔵とその一派、あるいは赤穂浪士や幕末新撰組のような侠気あふれる集団を育成していこうと思ったのだ。
そう決意すると、いろいろなご縁が自然に生まれていった。
そして、やくざと受刑者の更生については、数は少なくとも、こうした者たちの支援を続けている事例があることも知ることができた。