かつてはヤクザが率先して人助けをしていた時代も…。なぜヤクザは嫌われる存在になってしまったのか? 山口組系組長から更生を果たし、現在は暴力団員の更生支援のために活動するNPO法人五仁會(ごじんかい)代表・竹垣悟氏の新刊『極道ぶっちゃけ話「山口組四代目のボディガード」の半生記』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

写真はイメージ ©getty

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元ヤクザ→NPO法人の会長に

 2012年にNPO法人「五仁會」を発足し、2013年1月1日にブログを開設して「暴力団」を批判している私は、「元やくざのくせに、やくざを批判している」とお叱りを受けることもある。

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 しかし、山口組にいたからこそ、心から「暴力団はいらない」と言えるのだ。

 暴力団とは暴力を振るう集団という意味であるから、やくざとはかぎらないが、やくざはすっかり「暴力団」になっている。

 暴対法の「暴力団」とは警察庁が組織の構成員の数や犯罪歴などを勘案して指定した組織を指す。全国で25団体、要件を満たさずに指定されていない中小の組織はほかにもある。

 本来のやくざとしての「侠客」と「暴力団員」はまったく違う。

 いまのやくざは侠客を目指すべきだ。

 振り込め詐欺でお年寄りを騙し、覚せい剤などの違法薬物を密売しているだけでは、暴力団どころか、たんなる犯罪集団である。

著者の竹垣悟氏(写真:本人提供)

 そうではなくて、世のため人のために生き、弱い者を助ける侠客となってほしいのだ。

昔のヤクザと今のヤクザの「徹底的な違い」

 山口組もかつてはそうだった。

 たとえば大災害が起これば、街のやくざは必ず真っ先に支援活動に走っていたものだ。とくに1995年の阪神・淡路大震災のときは、山口組本家の地元で起こった大災害ということもあり、五代目山口組・渡邉芳則組長が直接指示して、多くの組員が炊き出しなどの救援活動に奔走した。傘下のテキヤたちが屋台でつくる焼きそばなどは大好評で、長蛇の列ができた。

 当時、中野太郎率いる中野会に在籍していた私は組員らと漁船をチャーターしてミネラルウォーターを大量に積み込んで運び、避難所などに届けた。そこで私たちは被災されたみなさんが喜んでくれる姿を目の当たりにし、私たちの活動で神戸市民は助けられたと実感したのである。

 日本のマスコミは私たちのこの活動をほとんど報じていない。書くとしても「暴力団」の「売名行為」という切り口である。

 アメリカのニューヨーク・タイムズ紙ですら「神戸のギャングが震災で支援活動」と報道し、「政府より効率的な活動はギャングのプライドによるもの」だとしている。日本のマスコミのなんと情けないことだろうか。

 同紙では、当時は若中だったと思うが、正木組・正木年男組長にインタビューしており、組長は「被災されたみなさんによいサービス(支援)をできたことに満足している」と話している。

 だが、その後は山口組としてのボランティア活動が萎んでいくことになる。東日本大震災のときは、警察が「暴力団からの支援物資は受け取らないように」と指導したところもあると聞いている。

 地元のほうは「誰にもらったものでも毛布は毛布だし、水は水に変わりないのに」と残念がっていたという。

 私はボランティア活動の衰退の背景には暴排だけでなく継続した活動が行われていなかったことがあると思う。世のため、人のためにいくら大きな活動をしても、単発なら世間は認めてくれない。

 世間から何を言われようと、いったん「こうする」と決めたら、それをやり遂げなければ、世間は認めてくれないのだ。

 世間や警察からの批判を受けても、ずっとボランティア活動を続けていれば、世間の見る目も変わったかもしれない。そう思うと、残念でならない。

 あのころの山口組はどこに行ったのだろう。

 こうした思いも五仁會発足のきっかけとなった。

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