エジプト神話では神格化、江戸時代には妖怪扱い
次は文化的な面からもアオサギを考えてみよう。実はアオサギは「死」の概念と深く結びついた鳥でもある。特にエジプト神話ではベヌウ(ベンヌ)という不死の鳥として重要な存在だ。ベヌウは「再生と創造の神」ラーとの結びつきが強い存在なのだが、「冥界の神」オシリスの冠をかぶった姿でも描かれることが多い。
一見矛盾する「死と再生」の概念を体現するベヌウだが、古代エジプトの価値観ではこの2つの概念は直結するものだった。死と再生を司るアオサギのイメージは後にギリシアへ伝わり、不死鳥フェニックスのモデルになったという説もある。
古代エジプトとは反対に、古の日本文化におけるアオサギは微妙に扱いが悪いようだ。最古の歌集『万葉集』には4500首以上もの歌が収録されているにもかかわらず、サギを詠んだ歌は一首もないという(ツルを詠んだ歌は45首もあるそうだが……)。清少納言も『枕草子』の「鳥は」の段で、「サギは見た目も目つきも悪く、その姿には全く惹かれない」といったことを書いており、散々である。
一方で江戸時代になると、超常的な存在としてアオサギを見る視点が出てきたようだ。ただし古代エジプトのような神格化ではなく、むしろ妖怪のような扱いだったのだが……。たとえばサギが夜になると怪しく光る様を示す「青鷺火」という言葉が残っている。鳥山石燕が『今昔画図続 百鬼』の中でこの「青鷺火」を、リアリスティックなアオサギの絵とともに描写している。
多少の格差はあれど、エジプトと日本という時間的にも地理的にも遠く離れた地で、死や闇や異界につながる超常的な鳥という点で、アオサギのイメージが共通しているのは不思議だ。アオサギはそうした一種の越境性を、普遍的に呼び覚ます鳥ということなのだろう。
『君たちはどう生きるか』で眞人が迷い込む異世界は、ベックリンの絵画《死の島》のような糸杉の並ぶ島が浮かび、濃厚な「死」の匂いが漂う彼岸の世界である。同時に、「ワラワラ」という小さく丸い存在がもう一度「生の世界」に旅立つ出発点として、「再生」を担う世界でもあった。「死と再生」が陰陽図のように絡み合う世界へと眞人を導く存在として、「死と生」の境界にいるアオサギは、ふさわしい鳥に思えてこないだろうか。
原案・原作の「ねじくれ男」とアオサギ
本作のアオサギについて考える上で、アイルランド出身の作家ジョン・コナリーの小説『失われたものたちの本』(2006)も重要な鍵になる。宮崎駿が心の一作として語る『失われたものたちの本』のあらすじは、実はほぼ『君たちはどう生きるか』と同じであり、実質的な原案・原作と言って良いだろう。
キャラクター造形や配置も近く、たとえば「木こり」と「キリコ」のように、その相似性が言葉遊びで表現されている例もある。