岩井俊二監督に「これは想い出づくりです」
蒼井の俳優デビューは1999年、中学2年生のときにミュージカル『アニー』のオーディションに合格し、ポリー役で初舞台を踏んだときである。合格するまでオーディションを受けること5回、反対する父に土下座で頼み込んでの出演であった。
だが、舞台のため、生まれ育った福岡から東京の中学校へ編入したものの、卒業したら帰郷するつもりでいた。その思いは、デビュー映画となる『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)への出演が決まり、東京の高校に進学してからも変わらず、撮影中、監督の岩井俊二に「これは想い出づくりです」と言っていたくらいであった。
後年、岩井との対談でその話を出された蒼井は、《女優でやっていけるなんて考えもしなかったんです。当時の私は“邦画”っていう言葉すら知らない高校生。学業を離れて現場でワイワイ過ごすのが楽しい、くらいの感覚でした》と明かした(蒼井優『8740 DIARY 2011-2014』集英社、2014年)。
そんな蒼井に、岩井はオーディションで初めて会ったときからインスピレーションを受けるものがあった。先述の対談では、《優を見てると「この子がやらないと、ほかの俳優志望の子が気の毒だな」と思えて、迷ったあげく、打ち上げで「女優を続けたほうがいい」って言ってしまった》と語っている(前掲書)。
俳優を続ける決心をした理由
岩井の勧めにきょとんとしていたという蒼井だが、それでも『リリイ・シュシュのすべて』で演技が面白いと初めて思えた。同作ではほとんど何も考えずに芝居をしていたが、続く映画『害虫』(2002年)ではしっかり台本を読み込み、演じる人物をつくり込んだうえで撮影にのぞんだ。
だが、自分の考えてきたプランと現場での塩田明彦監督の指示はまるで違った。その反省から以後は、《自分の中で役を固め過ぎず、台詞も覚え過ぎず、役の感覚っていうのをなんとなくつかんだ状態で現場に行って、役者さんと監督と現場の雰囲気で輪郭を決めていくようになった》という(『CUT』2008年7月号)。
その後、映画『花とアリス』(2004年)で再び岩井俊二と仕事をする。このときもオーディションを受けたが、台本を一読してどうしても出たいと思ったという。ただ、この時点でもまだ、俳優を続けていけたらという気持ちと、「いや、そんな大それた夢なんか持っちゃいけない」との思いのあいだで揺れ動いていたらしい。『花とアリス』への出演が決まるまでも、高校卒業とともに現実の世界に戻ろうと、自分のなかで期限を決めていた。