その気持ちが変わったのは、映画『ニライカナイからの手紙』(2005年)の撮影に入る前、釜山国際映画祭に出席したときだった。このとき、韓国の人たちの映画に対する熱がうらやましくなるとともに、レッドカーペットを歩いて、「自分は映画が好きなんだ」と思いもよらない感情が沸き起こり、期限を決めずに俳優を続ける決意をしたという。
過酷だった『フラガール』の撮影
20代に入ってからはドラマや舞台とあわせ、ますます映画への出演が増える。なかでも『フラガール』(2006年)は彼女の代表作のひとつとなる。同作では、炭鉱の閉山により衰退し始めた昭和40年代の福島・いわきを舞台に、町おこしのため開設されることになったハワイアンセンターで観光客相手にフラダンスを披露すべく、地元の女性たちが東京から招いたダンス講師とともに苦闘する姿が描かれた(ちなみに蒼井は夫となる山里亮太と、このとき共演した彼の相方・山崎静代に紹介されて知り合うことになる)。
バレエの経験があった蒼井だが、ダンスシーンで体が思うように動かず苦労したらしい。ほかにもロケ現場が寒く、セリフも方言と、プレッシャーだらけで、それまでのどの作品よりもきつかったという。撮影の最終日には、疲れと達成感が一気に来て、「こんなに幸せな気持ちになれるんだったら、芝居することをいま、絶頂の状態でやめたいな」と思ったほどであった(『CUT』2008年7月号)。
同作では映画賞の女優賞を総なめにしたが、本人はご褒美とは感じず、むしろ周囲の評価と自分の評価にギャップを感じた。周囲があまりに喜ぶので努めて冷静さを保ち、調子に乗らないよう自戒したという。
高い評価を受けたことを蒼井はむしろ試練だと捉えた。この時期の雑誌記事で彼女は、《私は表現者ではなく、作品の中で与えられた役をこなす役者。演じる上で、自分の感情や性格を利用することはあります。でもそれは胸の上にある感情を上下させる手段。表に出す時には、一度それを役というフィルターに通さないと悔しい。それでは、演じたことにはならないって》と語っている(『AERA』2009年5月4・11日号)。
俳優をやめようと、7ヶ月の休養へ…
しかし、仕事が引きも切らず、多忙をきわめるなかで、「感情を役というフィルターに通す」余裕がなくなっていく。台本に「涙が出てくる」と書いてあれば、相手のセリフも聞けていないのにポロポロと涙が出た。芝居とはいえ、感情のない涙を流せる自分が怖くなった彼女は、この仕事をやめようと7ヶ月ほど休養する。しかし、やはり続けたいと思って所属事務所に電話をしたところ、山田洋次監督の映画出演の話が待っていた。こうして主演の吉永小百合の娘役に抜擢された『おとうと』(2010年)で復帰を果たす。
山田洋次作品にはその後も『東京家族』(2013年)や『家族はつらいよ』(2016年)などに出演する。このうち『家族はつらいよ』は第2作(2017年)もつくられたが、山田が続編を撮ろうと動き出したのは、蒼井が聞かせてくれた話にヒントを得たからだった。