「夏海ちゃん、あなたも海斗くんのお母さんのつもりだったんだろうけど、甘やかしてただけじゃない?」
相手方の母親からそんな言葉を浴びせられた夏海は、茫然としていた自分の父親の横で、申し訳なかったと土下座をする。私が責任を持ちますからと土下座をする。しかしそれを見ていた健人は、夏海を縛る母親業を否定しない。むしろ彼もまた「だって夏海、お母さんなんでしょ?」と縛るものを強くする一人だ。
半径3メートルくらいの幸せがちょうどいいという夏海に対して、もっと広い世界もあることを教えてくれるような王子様ではない。半径3メートルってことは直径6メートルだから、こんな幸せもアリだよね、とあくまでも彼女の狭い世界の中に、新しいものを運んでくるのだ。
修と守と三角関係になっていた愛梨もそう。愛梨に叱られた後、修はテスト合格祈願にと、マーガレットの花束を持ってくる。ぶっきらぼうだが、初めて他人に歩み寄ろうとした彼に対して、愛梨は「修くんってやっぱり本当は優しいよね」と許す。その光景は、恋愛関係に発展する前のもどかしい男女というよりは、悪さをした子どもと同じことをしちゃダメだよと微笑む母親のようだった。
おおらかで、気前が良くて、愛情深くて、失敗しても見捨てない。それぞれの対象は違えど、夏海も愛梨も理沙も“母親であること”を求められている気がしてならないのだ。
『真夏のシンデレラ』はなにをやりたいのか
さて、脚本を担当する市東さやかの前作、つまりフジテレビヤングシナリオ大賞の受賞作『瑠璃も玻璃も照らせば光る』は、脳梗塞の父親と鬱病の母親の面倒を見る女子高生・ひかるの物語だ。
「私頑張るから」と自分を奮い立たせ、病院と家を往復する中、同級生から演劇部の照明係を頼まれる。なんとなく引き受けた照明係だったが、大好きな演劇とまっすぐに向き合う転校生の姿に感銘を受け、ひかるも奥底に閉まっていた自分の本心と向き合っていく。ヤングケアラーという過酷な状況下で、それでも小さな光に手を伸ばしてみようと、最初の一歩を踏み出す話だった。ひかるが家に縛られつづけることを肯定するドラマではなかったと思う。
後半戦に突入したものの、『真夏のシンデレラ』がなにをやりたいのか、その真意は未だよくわからない。けど少なくとも、大抜擢された若い女性脚本家の意思“だけ”で描かれたドラマには、到底思えないのである。
湘南のシンデレラたちを幸せにできるのは、イケメンでエリートの王子様だけなのだろうか。半径3メートルとはいわず、夏海には湘南ー東京間くらいの幸せを望むようになってほしい。願わくば『東京ラブストーリー』の赤名リカみたいに、王子様が隣にいなくても、幸せになれることを証明するヒロインであってほしいのだ。