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 エースになるために必要なのは、特別な才能でもスキルでもありません。歌やダンスが下手でも、自己を確立し、自信を持ち、前に向かって進んでいれば、スキルなんて後からいくらでもついてきます。スキルが身につけば自信が深まり、いっそう前向きに頑張れるという好循環が生まれます。

 ここまで、「絶対的エース」と呼ばれた前田敦子を例にエース論を展開してきましたが、先にも触れたとおり、私は「前田=唯一のエース」とは考えていないし、全員が前田をめざす必要もないと思っています。

 エースとはあくまでも「自己を確立し、自信を持ち、前に向かって進む」人であって、その条件を満たして輝いている人は、たとえセンターというポジションに立っていなくとも、全員がエースといえます。

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 エースはeverybodyなのです。

 AKB48でいえば大島優子も高橋みなみも小嶋陽菜も峯岸みなみも、みんなエースと呼べるし、オーディションに落ちてAKB48に入れなかった子だって、学校や家庭や職場で前向きに輝いていたなら、その子は間違いなくエースだと思います。

©文藝春秋

 エース像は十人十色です。

 会社でナンバーワンの営業成績をおさめてエースと呼ばれる人もいれば、町内会のエースとして地域に貢献する人もいるし、子宝に恵まれて母としてエースになる人もいます。自己を確立し、自信を持ち、前に向かって進んでいれば、誰もがいつかどこかで必ずエースになれる、つまり、自分自身が輝き、そのときの自分にあった最高の場で活躍する瞬間がくるのです。

「10代の小娘の話は役に立たない」のか?

 センターに立つ人は「エースの資格」をたしかに持っていますし、一方、エースの資格を持たない人はセンターといった中心的役割を担うことはもちろん、自分自身が「輝く」ことも、最適の場で活躍することもできません。

 しかし、だからこそエースの資格を知りさえすれば、センターになりたい人であればセンターに近づき、自分なりに輝きたい人であれば自分なりに輝くために必要なことがわかります。

 どちらがいいというわけではありません。