ベテランになって初めてわかる大きな「変化」
個別練習に関して、もう少し補足します。選手だった頃、まれにですが「若手のお手本に」などという名目で個別練習に自分の名前があったりすると、以前には感じたことのない嬉しさのような感情が芽生えていたことを思い出します。
名前が書いてあるのが当たり前で、「今日も個別か……しんどいなぁ」なんてことを思っていた若手の頃には想像もできない感情です。若い頃は、「ベテランになると自分の意思で練習ができてうらやましい」なんて思っていましたが、そんな感情は甚だおかしなものだと、その立場になってようやくわかるものでした。若手とベテランでは同じことに対しても思うことが変わってくるのです。
プロ野球選手は活躍して日の目を見られる期間はそれほど長くはありませんが、最後まで走り切るのが使命です。
あれはいつの頃でしたか。不運にも一軍の試合で怪我をして戦線離脱をしてしまい、復帰段階で二軍の試合に出られるところまで怪我が回復した時のことだったと思います。若くてやる気に満ち溢れていましたから、一日も早く一軍に戻るんだと意気込んでいました。
ちょうどそのタイミングで、広島カープとの遠征試合がありました。名古屋駅から新幹線に乗って広島駅、そこから乗り継いで山口県の新岩国駅に着いたら、バスに乗り換えて40分ほど走ると目的のホテルに到着します。トータルすると約4時間の長い道のりです。
その新幹線の新岩国の駅に降り立って、改札を出るまでの数秒の間のことでした。ふと心に決めた瞬間があったのです。
失礼ながら新岩国の駅は閑散としていて、自分の故郷の岐阜羽島駅とどことなく雰囲気が似ていたのもあってか、地元に帰ってきた気持ちにもなっていたせいだと思います。こう強く自分に言い聞かせました。
「ヨシッ! この二軍でしか訪れない新岩国の駅にやってくるのは、これが最後だッ! ここへ来ることがあれば自分は辞める時だ!」
それがどうでしょう。30歳を過ぎて、何とも言えない憂鬱な9月の時期を何度も乗り越えていくと、感情が次第に変化していきました。時を経て再び訪れた新岩国駅では「あぁ、この歳になっても新岩国の駅に降り立つことができるなんて、私はなんて幸せ者なんだ」と感謝へと移り変わっていたのです。なんと都合のいいことでしょう……。
協力してくれるスタッフに支えられ、なんとかその想いにも応えたいと活躍を誓ったとしても、チームが優勝争いを繰り広げていたりすれば、ベテランの経験を頼られる機会は増えるかもしれませんが、チームの低迷が続くと一軍への切符を受け取ることは一層厳しくなります。
暑さも和らぎ始めてペナントレースも終盤を迎えると、嫌でも新岩国の改札の光景を思い出してしまうのです。
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