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「単なる職場結婚ですよ」

 ——じゃあ、秋元さんが作詞家として一番最初にヒットした稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」は?

 秋元 本当は、僕が24歳の時の作品ですね。

 ——長渕剛さんの「GOOD-BYE青春」は?

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 秋元 翌年ですから、25歳です。

 ——カルト的な名曲、伊武雅刀さんの「子供達を責めないで」も25歳の時の作品ってことですね?

 秋元 よく、そんなマニアックな曲を知ってますね。

 ——そりゃあ、インタビュアーが秋元康本人ですから、Wikipediaに書かれていることの間違いまで、何でも存じあげております(笑)。話を戻しましょう。秋元さんのマネージャーが日本コロムビアのスタッフに美空ひばりさんのプロデュースをさせて欲しいと売り込んだという記事を読んだことがありますが……。

 秋元 それは、あり得ません。コロムビアの境弘邦さんが書かれた回顧録に「自分が秋元康先生にお願いしに行った」とも書かれていますし。

 ——1987年に美空ひばりさんが公演先の福岡で体調を崩され、アルバムのプロデュースが延期されるんですよね? しかし、その間もご一緒された?

 秋元 そうですね。1988年の東京ドームの「不死鳥コンサート」で、コーラスのみなさんが最後に歌う“ひばりさんを送り出す歌”は僕が作りました。それは企画書を出したご縁があったからです。不死鳥コンサートも無事に終わったので、いよいよあの企画を再開しましょう、と当時ニューヨークにいた僕にコロムビアから声が掛かったんだと思います。

 ——企画が一時、中断している間に秋元さんはご結婚されて、ニューヨークに住まわれていたんですよね?

 秋元 いきなり、プライベートな部分に入ってきましたね?

 ——忖度なくお聞きしてもいいですか? 奥様のこととか……。

 秋元 いいですよ。あなたがインタビュアーなら。信頼していますからね……ただ、ゲラはチェックさせてください。

 ——×××××?

 秋元 ×××××。いや、単なる職場結婚ですよ。

 ——よく聞かれると思うんですけど、あれだけの大人数グループの中で、どうして会員番号16番の彼女を選んだんですか?

 秋元 う〜ん、どうしてですかねえ。縁があったっていうことじゃないですか?

 ——もう少し、具体的に惹かれた点を言っていただかないと、読者も納得しませんよ。

秋元康氏の連載「秋元康 ロングインタビュー」全文は、「文藝春秋」2023年9月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。