「ここは俺がやる。見ていろ」
腹膜を裂くと一気に腸が溢れ出てきた。キースは迷いなく内臓を引きずり出す。大きなレバーが出てきた。続いて、肺や心臓。尻から頭の方向に作業は進み、肛門から食道まで、全てがひと繫がりのままに取り出された。
当たり前だが、食物を摂取する入口から排出する出口までのラインは、1本に繫がっている。人間を含む大概の動物の体の構造は、極端に言えばストローのようなもの。命は手始めに、食べて出す機能から獲得してゆく。精子と卵子が出会い受精卵が細胞分裂を始めると、最初に球体を貫く穴が出来る。その両端が口と肛門になるのだ。
その後キースは生殖機能を司るペニスと睾丸を引き抜き、四肢を付け根から外し、作業は完了した。
絶対に忘れてはならない祈り
鹿を撃ってから解体が終了するまで、1時間もかからなかった。森の中に佇み、毅然とした視線でこちらを見据えた雄鹿は、瞬く間に1枚の毛皮といくつかの肉叢に姿を変えていった。キースのナイフ捌きは迷いがなく、無駄な動きもない。憐憫の情といったものは感じられないが、冷酷なわけでもなかった。それは、単に手順を追うだけの作業とも違う。肉の状態や出血の具合を見て臨機応変に対応する様子は、外科医による的確な執刀を見ているようであり、獲物との対話にさえ感じられた。
全てが終わったあと。キースが内臓の一番上の部分から、まるでプラスチックで出来た掃除機のパイプのような白い筒を取り出した。呼吸器の一部である気管だ。そして、獲物の魂を送る儀式を教えてくれた。
さっきまで息を吸っては吐いてを繰り返していた気管に、今はもう空気の動きはない。それを風通しの良い枝に掛ける。すると、筒の中を山の風が吹き抜ける。一旦は止まってしまった空気の流れが甦る。そのように、彼らが再び息ができるようになること。そして、大いなるものが彼らに新たな命を授けてくれることを祈るのだ。
これが、僕が狩猟というものを目の当たりにした、最初の日の出来事だ。今でも、あのとき感じた鹿の体温や、腹を開けた時の蒸れたような匂いを、昨日のことのように思い出す。
長い年月が経ち、僕が自分で狩猟をするようになっても、気管を木の枝に掛ける儀式を欠かしたことは一度もない。この祈りこそが狩猟をする上で最も大切で、何があろうとも絶対に忘れてはならないと、キースが教えてくれたから。