ところが、キースはハンターだ。彫刻を生業としながらも、狩猟は彼の日常生活の根幹を成している。一家が食べる肉は、家長が獲る。それは先祖代々伝えられてきた不文律。山に獣を追うことは、彼らの遺伝子に深く刻印された本能的な行為なのだ。
命と対峙する経験
ユーコンにキースを訪ねた大きな目的の一つ。それが狩猟に同行し、命と対峙する経験を積ませてもらうことだった。
鹿の頭を切り落とすのが、キースから与えられた最初の指示だった。迷いがなかった、といえば噓になるかもしれない。でも僕は鹿の首にナイフを深く刺し入れた。皮は硬いが、なんとか切り進んでいく。
問題は骨だ。ナイフでは絶対に切れない。頭蓋骨と頸椎の境目に刃を当て、拳でナイフの背を叩くと「そんなことをしては刃がこぼれる」と叱られた。僕からナイフを取り上げたキースが、関節の僅かな隙間に刃先をこじ入れて内部の靱帯を切断する。すると首から離れるのを拒んでいた頭は急に抵抗力を失い、呆気なく外れた。坂を転がる頭を慌てて追いかけ、角を摑んで拾い上げる。重たい。思っていたよりもずっと。コケに覆われた切り株の上にそっと置いた。
続いて四肢の内側の皮に、先端から付け根に向かって切れ目を入れてゆく。腹部の中心線も同様に裂く。ナイフは刃を上にして、滑らせるように使う。刃先が消化器の上に差し掛かった時は、内臓を傷つけないように細心の注意が必要だ。胃に穴を開けようものなら、未消化の内容物が飛び出してきて臭いが肉についてしまう。この段階になると、不思議と血は殆ど出ない。止め刺しの時はものすごい勢いで噴き出ていたのに。心臓のポンプが動いていない限り、血が溢れ出ることはないと知った。
次は、脚の先端から胴体の中心に向かって毛皮を剝ぐ。皮の切り口を指先で摘んで引っ張り、ナイフでそっと皮膚と肉の境目をなぞる。毛皮に肉を残してはならず、かと言って穴を開けることも許されない。繊細な作業だ。
「青白いのが皮膚だ。そこを切り進め」キースが教えてくれる。確かに、皮膚の内側は僅かに青白い。ナイフを入れる場所を間違えると、毛皮にピンクの肉塊がついたままになってしまう。ある程度皮と肉が分かれてくると、キースはやおら、境目に腕を突っ込んだ。そうすると手早く綺麗に剝げるのだという。真似をして、片手で皮を思い切り引っ張りながら反対側の腕で手刀を押し込む。小気味いい音を立て、たちどころに皮が肉から離れてゆく。体温はまだ逃げていない。命の名残を直に手で感じる。気温がどんどん下がってゆく中、鹿の体内に潜り込ませた肘から先だけが熱い。
毛皮を剝ぎ終わると、次は内臓を全て取り出す。