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 交易品からの贈答として、少し変わったところでは、秋田の大名・安東愛季(あんどうちかすえ)が、天正5年(1577)、信長にラッコの毛皮を10枚贈っている。

 恐らくは、ラッコの生息地である千島列島や樺太のアイヌから、蝦夷地(北海道)本島のアイヌが毛皮を買い上げ、さらに安東氏が購入したのではないか。

 中世の海外交易というと中国や西洋などに目が行きがちであるが、この安東氏の例のように北方で展開された交易や、そうした品々が日本の中央にまで流通していた事実も、いま少し注目されるべきであろう。

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 安東愛季はその後も北方の珍品を贈って織田家と親交を深め、天正8年(1580)には信長の推挙により、従五位之上・侍従に叙任された。

 当時の貴重な交易品の一つに、砂糖が挙げられる。砂糖は日本国内ではまだ栽培生産が確立されておらず、海外からの輸入に頼っていた。

 天正8年(1580)6月、四国の大名・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が織田信長に、3000斤(1.8トン)もの膨大な砂糖を贈ったことが『信長公記』に記されている。

 当時の元親は、信長の承認を得て、四国の反織田勢力である三好氏を攻めていた。大量の砂糖は、信長との関係を強化し、その権威を背景に、四国平定を有利に進めようという考えの表れであろう。

 それにしても、貴重な砂糖をこれほど大量に買い集めたことや、それを惜しげもなく信長に贈ってしまう大胆さには驚かされるが、あるいはこの贈答の裏には、長宗我部家との取次(外交担当)を務める織田家重臣・明智光秀の助言もあったかもしれない。

参考:盛本昌広『贈答と宴会の中世』2008

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 長宗我部家は、大量の砂糖の献上を織田家に約束していた。外交僧として必死の思いで砂糖をかき集めた蜷川道標だったが、何者かに砂糖の献上の先を越されてしまう。横槍を入れてきたのはまさかの……すべてが戦略物資になる乱世の厳しさが身に染みる「戦国砂糖合戦」etc.

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