戦国小説集『化かしもの 戦国謀将奇譚』の著者・簑輪諒が、小説の舞台裏を戦国コラムで案内する連載の第4回です。(全7回の4回目/前回を読む)
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――彼(信長)は豊富にかつ美しい贈物を携えて訪問を望む者だけに会見を許し、しかもそれは大いなる好意であり、格別の寵愛と見なされるのであった(ルイス・フロイス『日本史』)
今も昔も、他者や社会との関わりにおいて、贈り物は欠かせぬものだが、生き死にのかかった戦国時代にあっては、その重要性は現代の比ではない。まして、相手が天下人たる織田信長ともなれば、なおのことである。
本記事では、そんな信長に、戦国武将たちが贈った品々について、一部を紹介していきたい。
贈り物の定番・馬
馬は贈答品の定番であり、戦に欠かせぬ武具として刀槍などと同様に、武家においては伝統的に珍重された。
――彼が格別愛好したのは著名な茶の湯の器、良馬、刀剣、鷹狩り
と、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にもあるように、信長は武家の慣習という以上に、個人の嗜好としても馬を好んでいたようだ。『信長公記』には、ある家臣に愛馬の献上を命じるも拒まれたため、信長は深く恨み、やがて主従不和になった、などという逸話も残されている。
天下人となった信長には、諸国から名馬が献上された。天正9年(1581)の京都馬揃えでは、信長自身は「大黒」という馬にまたがり、「鬼芦毛」「小鹿毛」「大芦毛」「遠江鹿毛」「小雲雀」「河原毛」といった、愛蔵する中から選りすぐった名馬を、唐織物や金襴の馬具で美々しく飾りつけて披露した。
他に、諸侯から献上されたものとしては、米沢の伊達輝宗が贈った「がんぜき黒」「白石鹿毛」、会津の蘆名盛隆が贈った「あいそう駁(ぶち)」の馬などが名馬として伝えられている。
全国の様々な食べ物
食物もまた、贈答品によく用いられた。
植物の中では、瓜(うり)がポピュラーなものの一つだった。甘味が貴重だった時代、瓜は夏の果物として好まれ、漬物にすれば保存も利いたことから各地で生産され、贈答品として用いられた。信長への贈答品としては、織田家臣の稲葉一鉄、松井友閑らが瓜を献上した記録が残る。