1ページ目から読む
3/3ページ目

幻のハリウッド映画

 小林をウェインに引き合わせたジョー・パスターナクはハリウッドで活躍した大物プロデューサー。大の親日家としても知られ、淡路恵子が出演したウイリアム・ホールデンの主演映画『トコリの橋』(昭和29年)や、早川雪洲や山口淑子が出演し、日本でもロケが行われた『東京暗黒街・竹の家』(昭和30年)の制作に関わった。日本初の国際女優と呼ばれた谷洋子とも親交があり、小林にハリウッド進出を勧めたのも彼だった。

山口淑子 ©文藝春秋

「7万ドルを使い切るための旅行で、現地で通訳をやってくれたのが新歌舞伎座の社長だった松尾國三さんの弟さん。現地で興行をやっていた松尾さんがパスターナクを紹介してくれたんだ。

 歌手のドリス・デイや『ウエスト・サイド物語』(昭和36年)でジェット団のリーダーを演じたラス・タンブリン、『Z旗あげて』(昭和32年)のジア・スカラにも会ったけど、こうなるともはや単なるミーハーだよね。ドリスに頬っぺたにキスされたときの素晴らしい石鹸の匂いは、いまだに忘れられない。

ADVERTISEMENT

ドリス・デイ(1950年代初頭) ©時事通信社

 日本の提灯が飾られていたパスターナクの事務所には『明星』だとか『平凡』などの映画雑誌が山のように積まれていてね。ある日、彼から『お前は東南アジアでも人気があるようだから、俺と映画を作ろう』と持ちかけられたんだ。

 後に三船敏郎さんがアラン・ドロンやチャールズ・ブロンソンと共演した『レッド・サン』(昭和46年)という映画が作られたけど、パスターナクも似たような企画を考えていたようだ。俺の役柄も念入りに考えられていて、怪傑ゾロのような帽子をかぶったヒーローが拳銃を抜くよりも早く手裏剣を投げるという設定だった。相手役は『ララミー牧場』でテレビの人気者だったロバート・フラー。あの時、俺がその話に乗っていたら、世界は変わっていただろうな」

 パスターナクは具体的な計画とともに小林に破格の条件を提示した。百科事典を積み上げたような分厚い契約書も用意されていたという。

「小林旭 回顧録」第4回の全文は、「文藝春秋」2023年9月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。