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ローズがわが家にやって来た…ベイスターズ最強助っ人と滋賀のステーキ職人の温かな縁

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 ベイスターズ史上最強の外国人選手、ボビー・ローズが甲子園のレフトスタンドに突如として現れたのは、8月29日のことだった。ミッシェル夫人、1998年生まれの末娘・リアンナ。そして友人の相川七瀬さんまでがレフトスタンドの最上部に顔を見せ、「人生ではじめて」という日本式の外野席を堪能していた。

 ビールは世界一と認めてやまないアサヒスーパードライ。8年間の平均打点101点という驚異的な勝負強さ故に今ではチャンステーマにもなっている自身の応援歌を自ら「カモンローズビクトリー」と高らかに歌い上げれば、9回裏0-2。マウンドにはストッパー岩崎という絶体絶命の場面から、佐野恵太が同点ツーラン。続く自身と同じ“4番セカンド”の牧秀悟が“23号”の逆転ソロと、もののけの復活を示唆するような奇跡の逆転劇を目の当たりにし、ローズ氏はハッスルボビーしたのであった。

 しかし、なぜローズ氏が甲子園に現れたのか。

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甲子園のレフトスタンドでハッスルボビーするローズ一家 ©MIHO KUBO

「甲子園は僕にとって思い出の地なんだ。1998年10月8日、僕たちが優勝を果たしたあの試合だけじゃない。1999年オールスターの第2戦。僕は5歳になったばかりの息子・コーディをベンチに入れてもらい、彼に3打数3安打6打点の活躍を見せることができた。ツーベースの時にシゲ(谷繁元信)がベース上の僕の姿が良く見えるようにコーディを肩に担いでくれてね。本当に幸せな時間だった。今回の日本行きはあの時小さかった子どもたちに、大人になってからもう一度甲子園を見せてあげたいと思っていたんだけどね。コーディが直前に急な仕事が入ってしまいリアンナだけになってしまったけど、多くのファンと共に、素晴らしいものを見ることができたよ」

 そして、もうひとつ。

 今回のローズファミリーの関西行きには、表には出ていない理由があった。

 滋賀県は栗東にあるステーキキッチン「ボストンコモン」を訪れる。

 それは3年前に交わした約束でもあった。

「まさか本当に来てくれるなんて」

 馬の町栗東で牛を出す。そして関西なのにベイスターズファンが集う店として名を馳せる「ステーキキッチン ボストンコモン」。若マスターの松山竜太さんは、表の顔は腕利きのステーキ職人であるが、裏の顔は重度のベイスターズファンだ。月に一度、「関西では日頃なかなか口に出せないベイスターズのことを話せる場所を」と、店を貸し切りにして「ベイストンコモン」というベイスターズファンを集めた秘密集会を行い、今では100人からの会員が集まるまでになっていた。

クマとタヌキが出迎えるベイストンコモン時の店構え ©ベイスターズおじさん

 そんな松山さんとローズの出会いは、2020年の文春野球コラムに書いた。コロナ禍初期のマスク不足のなか、松山さんの母・道代さんが、古着をリメイクして布マスクを作ろうとしたとき、松山さんが20年以上着古したローズのTシャツを素材に選んだ。生まれ変わった“ローズマスク”は想像以上に出来がよく、これを松山さんのFacebookに投稿すると、突然ローズ本人から「素晴らしい、是非とも欲しい」とメッセージが届いた。マスクを通じた二人の交流は続き、「コロナが落ち着き、日本にいけるようになったらいつかお店にいきます」と約束を交わしたのだった。

ローズのTシャツは二種類のマスクに生まれ変わった ©ベイスターズおじさん

 とはいえ、松山さんとて「相手に何かしてもらうことなど望んではいけない」と刷り込まれている関西のベイファン。ボビー・ローズが日本に来たとしても横浜から新幹線を使って3時間の栗東に来るなんてことは、番長に「馬主はいいぞ。厩舎は関西なら言うことない」と勧めてもらった、なんて超ミラクルでも起きない限り無理だろうというのは理解していた。

「社交辞令だろうな」

 そう諦めかけていた松山さんの下に、ローズから「マスクマンの店に行くよ」と連絡があったのが夏の頭。ウソだろう。俄かには信じられないまま、甲子園にローズが現れた翌日の8月30日。栗東の地にボビー・ローズ一家がホントにやってきた。

「夢を見ているようでした。今もまだ夢見心地で、まさか本当に来てくれるなんて思ってもいませんでしたから」

 当日は、関西各地から筋金入りのベイスターズファン約20名が集まる。「ローズさん一家がよろこんでくれる雰囲気づくりを」と店内をベイスターズ一色に飾りつけ、英語での質問文を考えながら、カモンローズビクトリーのBGMをエンドレスで流し続けて一家を迎えた。

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