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細野正文の孫・細野晴臣と「タイタニック」の奇縁

 この映画『銀河鉄道の夜』の音楽を担当したのは音楽家の細野晴臣。実は細野晴臣は、奇しくも、タイタニック遭難から生還した細野正文の孫である。賛美歌は、映画のために創作された人物・盲目の無線技師が、ノイズまみれの遭難信号の中にこの歌を聞き取るシーンで初登場し、青年の回想で沈没の様子が語られる時に印象的に使われる。

 細野はどんな思いで賛美歌320番をアレンジしたのか。そして、果たして細野正文は船上で賛美歌306番を聞いたであろうか。

宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』に「タイタニック」を描いた理由

 原作である『銀河鉄道の夜』に話を戻そう。では、宮沢賢治はどうしてタイタニックのエピソードを導入したのだろうか。

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 家庭教師の青年は、沈没するときの状況を以下のように語る。

「そこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たち(引用者注・姉弟)をお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。」

 また、そうして銀河鉄道に乗ることになった姉は、ジョバンニとカンパネルラにサソリの物語を教える。それは、イタチから逃げて井戸に落ちたサソリが死ぬ間際に、どうしてイタチにこの身を食べさせなかったのだろう、と悔いる内容だ。

「どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」

 姉は、夜空に赤く燃えている「サソリの火」は、このサソリの体が燃えているものだとこの話を締めくくる。

 宮沢賢治は、さまざまな作品の中のみならず、生活の中でも「皆の幸福のための自己犠牲」という思想を追求していた。そこから考察するに、タイタニックのエピソードも個人の幸福と全体の幸福の関係を語るための重要なピースとして作中に導入されたと考えることができる。

『銀河鉄道の夜』と『タイタニック』 2つの物語に共通するもの

 そして、ここで『銀河鉄道の夜』と『タイタニック』は再び繋がってくる。この2つの物語は、ともに旅をしてきた相手の自己犠牲的な死と、それによる別離が描かれており、内容は異なれど、構造的に似ているのだ。ここで自己犠牲“的”としたのは、ジャックもカンパネルラも死ぬことを目的にはしていないからだ。

 どちらもまず無私の行動があり、その結果として、2人は命を落としている。それはこの2つが、結果として死んでしまった相手から何を受け取ったのか、という「残されたもの」の物語であるということでもある。