過去から現在に至るまで、あらゆる病を治そうと医師たちは奮闘してきた。しかし現代医療が生まれるまでの試行錯誤の過程で、人命を奪いかねない危険な治療法があまた考案され、それらがまかり通っていたのもまた事実だ。
ここでは、米国出身の医師リディア・ケイン氏とジャーナリストのネイト・ピーダーセン氏による共著『世にも危険な医療の世界史』(文春文庫)より一部を抜粋。1日で200件の切断手術を執刀した軍医や、一度に3人の命を奪った外科医の驚くべき手術とは——。(全2回の2回目/1回目を読む)
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かつての手術は清潔でも厳密でもなかった
あなたは手術を受けたことがあるだろうか? まだの人も、そのうちに手術を体験する日が来るだろう。かつては極端な病状の患者を救う最後の手段だった手術だが、今ではごく一般的なものになってきた。手術を受けるか否かを選択できる場合も多い。医療器具は滅菌処理されていて、手術は痛くないし、担当する外科医には技術があるものと誰もが思い込んでいる(なにしろ医師なのだから)。だが、かつての手術はそれほど清潔でも厳密でもなかった。
手術とは、命を守るための究極の障壁である体を切って体内に侵入することだ。皮膚を切開したり、眼球に器具を挿入したり、骨を切ったり、血管を縛って血流を止めたりすること(結紮)は、自然現象にも病気や外傷にまつわる自然史にも反する行為だ。
太古の昔から、医師は骨折の治療や、外傷の手当てや、病んだ四肢の切断に迫られたときに手術という手段を取った。頭痛や癲癇の治療には頭蓋骨に穴を空け、切断手術は焼きごてで焼灼しながら行い、体に刺さった矢は弓を使って抜き取ろうとした。そう、有史以前から銃が開発されるまで、医師たちは体に刺さった矢をどう処置するかで頭を悩ませてきたのだ。矢を引き抜くことは簡単ではなかったため、医師たちはときに頭をひねった末に、クロスボウ(ボウガン)しかないとの結論に達することがあった。中世に描かれた絵を見ると、悲壮感の漂う患者が柱にしがみつき、その首に刺さった矢がクロスボウにセットされているのがわかる。こうやって矢を逆方向に飛ばして体から引き抜こうとしたのだ。
ここでは16世紀初頭の手術の黎明期を中心に、手術にまつわる発見、絶望、創意工夫(時にうぬぼれも)がぶつかり合った出来事を紹介する。手術室における血なまぐさくて壮大な歴史においては、こちらが唖然とするような出来事が何度も起きた。現代の私たちの目から見ると、手術の歴史は非科学的な慣習とにせ医者であふれているのがわかる。では、歴史を紐解いてみよう。