過去から現在に至るまで、あらゆる病を治そうと医師たちは奮闘してきた。しかし現代医療が生まれるまでの試行錯誤の過程で、人命を奪いかねない危険な治療法があまた考案され、それらがまかり通っていたのもまた事実だ。

 ここでは、米国出身の医師リディア・ケイン氏とジャーナリストのネイト・ピーダーセン氏による共著『世にも危険な医療の世界史』(文春文庫)より一部を抜粋。悪名高き「ロボトミー手術」を生み出した医師たちはいかなる人物なのか――。(全2回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージ ©️iStock.com

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患者の脳を壊死させたノーベル賞医師

 1930年代後半から40年代前半にかけて、アメリカの内科医は崖っぷちに立たされていた。施設に収容されている精神疾患患者が40万人に達したのだ。国内のどこの病院でも、精神障害の患者が病床の半数以上を占めていた。効果的な薬物療法はないうえに、家族や精神科病院にとって、精神疾患患者は精神的にも、肉体的にも、経済的にも大きな負担となっていた。患者はしばしば劣悪な環境で治療を受けていた。が、その状況を救った人物がいる。酒がたんまり入った注射器を愛用する、痛風持ちのポルトガル人神経科学者だ。

 1935年、エガス・モニスは、精神疾患患者に新しい精神外科療法を試すことにした。ルコトミーだ(ギリシャ語で「白を切除する」の意。白とは脳白質のこと)。最初に選ばれた患者は、長年のうつ病で疲弊していた女性の入院患者。モニスの手は痛風で変形していたため、別の外科医に指示して、患者の頭頂付近の脳に穴を空けさせ、純粋なエタノールを注射して前頭葉の一部を壊死させたのだ(そう、ワインに含まれるあのエタノールだ。とはいえ、赤ワインをグラス一杯飲んでも脳細胞が死ぬことはないので、ご安心を)。

 後にモニスらは白質切断用メスと呼ばれる器具を使用するようになる。白質切断用メスとは便利な金属棒で、これを柔らかい脳に挿入すると、ワイヤループが飛び出して回転し、ほどよく脳をかき回してくれる。プリン液を攪拌する泡立て器というよりも、熟しすぎたメロンの果肉をほじくり出すくり抜き器といった感じだろうか。後にアメリカ人外科医ジェームズ・ワッツが語った話によると、脳の質感は「冷蔵庫から取り出したあとに常温で放置したバターみたい」だったという。

 モニスの手術を受けた患者の多くは、術後すぐに精神科病院に送り返されたにもかかわらず、彼はノーベル生理学・医学賞を受賞した。医学界はまたしてもこの術式に恐れおののいたが、モニスはブルクハルト(編注:1888年に脳葉にメスを入れる精神外科手術を行ったスイス人医師)のように表舞台から消えたりはしなかった。それどころか、自説を広めてまわったのだ。