「中国の外相(外交部長)が消えた。6月25日にヴェトナムとスリランカの外相と会談した後、秦剛外交部長(57)の動静がぱったりと途絶えた」

 外相は一体どこへ消えたのか? 深まる謎について、神戸大学大学院講師の李昊氏が深層レポートを「文藝春秋」2023年10月号(9月8日発売)に寄稿している。李氏は『派閥の中国政治 毛沢東から習近平まで』(名古屋大学出版会)を8月に上梓したばかりの新進気鋭の研究者だ。

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秦剛の解任が決定され、さまざまな噂が中国国内で飛び交う

 世界が騒然とする中、事態が動いたのは1カ月後の7月25日だった。

「秦剛が兼任する外交部長の職務を免ずる。王毅を外交部長に任命する」

 中国の全国人民代表大会(日本の国会に相当する)の常務委員会は、秦剛の解任を決定した。解任の理由については健康不安説や不倫スキャンダル説など、さまざまな噂が中国国内でも飛び交っている。

秦剛前外相 ©AFP=時事

 秦剛は2022年秋の共産党大会で中央委員に抜擢され、12月30日に最年少の56歳で外交部長に就任した若きスター。日本では舌鋒鋭い「戦狼」報道官として知られるようになった。

ベラルーシ大使も驚いた深夜の現地確認

 外交官として主にイギリスを専門に担当していた秦剛だが、スピード出世のきっかけは、あるポストに就任したことだったと李氏は分析する。

「名物報道官としての活躍ぶりは、世間に秦剛の名をとどろかせたが、直接出世につながったのは、その後の礼賓司(日本の儀典局にあたる)の司長を務めた経験だという。(中略)習近平の外遊の準備などを担当するが、ここでの周到な仕事ぶりが習近平に高く評価されたと考えられている」

習近平国家主席 ©AFP=時事

 その用意周到さは、ときに相手国側を辟易させるほどだったという。2015年に習近平がベラルーシ訪問した際、秦剛が翌日の博物館訪問に向けて準備に余念がなかったという。