「彼らの頑張りが、僕を奮い立たせてくれていた」
2022年秋は、ジャニーズ事務所にとって、大きな出来事が続いた。
まず10月31日、タッキー(滝沢秀明)が退所し、ジャニーズアイランド社長を退任することが発表された。僕は直接知っているわけではないけれど、タッキーはジャニーさんに特に信頼されていた人だ。これだけでもビックリしたが、もっと衝撃を受けたのが、11月4日、キンプリ(King & Prince)の平野(紫耀)、岸(優太)、神宮寺(勇太)の3人の脱退・退所発表だった。
同時期にジュニアとして活動していたこともあり、僕とキンプリのメンバーとの縁は深い。
平野は2012年、僕とほぼ一緒の時期にジャニーズ事務所に入った。僕も面接を受けた名古屋最大手の芸能事務所に所属し、名古屋ローカルのユニットのボイメン(BOYZ AND MEN)で活動していた。光GENJIや少年隊の振り付けの先生のレッスンを受けていただけあって、ジャニーズに入ったときからダンスの実力はすごかった。最初にダンスでつまずいた僕とは対照的に、彼はジュニアとしてのエリートコースを順調に進んでいった。
天然キャラとして知られているけれど、本当の平野は頭の切れるヤツだ。名古屋ジュニアとして関西ジャニーズJr.の松竹座での公演に一緒に参加したこともある。その頃、関西ジャニーズJr.で活躍していたのが、いまもキンプリに残っている永瀬廉だった。
僕は平野と神宮寺とは「Sexy Boyz」を組んでいたし、岸ともけっこう仲が良かった。
だから2018年1月、キンプリのデビューが決まったと知ったときは「やったじゃん!」って思った。嵐はなかなか超えられないと周囲は当初思っていたけれど、キンプリならやれるかもしれないと思わせてくれた。実際、デビューしてからは快進撃を続けて、日本の男性アイドルのトップを走っていた。この彼らの頑張りが、僕を奮い立たせてくれていた。
でも僕が壊れたのと同じ時期に、キンプリも壊れた。
「辞めジャニ」の苦しい立場
辛いのは僕だけじゃなかった。彼らにも上手くいかないことがあったんだ。あれだけ実力があって、大きな光だったけれど、やっぱり……悩みを抱えている。そのことに気づいた。僕も彼らも世界で活躍したかったけれど、その夢は、いまの、ジャニーさんがいないジャニーズでは叶えられなかった。
ジャニーズ事務所を辞めた時点で、テレビを中心とした日本のエンターテインメント業界で売れるのは難しくなる。実際、そういった現実はある。僕自身もそんな経験を味わった。ある番組のプロデューサーが僕を指名してくれて、その番組の責任者もOKを出したのに、最終的に局の偉い人の判断で出演できなくなったことがあったのだ。