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 そういう現実を引き受ける覚悟を持って、すべてを捨ててまで「世界でやりたい」という彼らは、やっぱりすごいと思った。それはもうハンパない覚悟が必要だから。

 彼らを応援するつもりで、ちょっとジョークでも言ってみようかなと思って、ツイッターにこう書き込んだ。

〈また俺と組む? 懐かしく4人でいこうぜ。〉

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 Sexy Boyz時代の写真を添えて。そしたらこのツイートだけで、300万ビューぐらいあった。

 でも念のために言っておくけれど、もちろん本気で書いたわけじゃなかった。

ファンに通じなかったジョーク

 辛いときにジョークを言うのはブラジル流だ。日本とは比べ物にならないぐらい貧富の差が激しいから、ユーモアがないと、生きていくのが辛すぎるということを彼らは分かっている。例えばブラジル人って、毎週末集まって、肉を食べて、酒飲んで楽しく過ごす人が多いのだけど、「いやぁ、最近どう?」「マジ家賃払えないよ」「俺も! 乾杯!」みたいな感じだ。

 だが、脱退のニュースを見てショックを受けていたキンプリのファンには、ジョークが通じなかったみたいで、けっこう批判もされた。だから今度は「謝罪」という題名で、YouTube動画をアップした。もちろんそれもジョークのつもりだった。「一緒にブラジルのテレビに出ないか」という誘いも入れてアップしたところ、中には理解を示してくれるファンもいて、「励ましてくれてありがとう」とか「暗い気持ちだったけど、笑顔になれた」とか、応援してくれるコメントもたくさん付いた。

 そのとき、ふと思った。

 もし需要があるなら、ジャニーズ時代のことをどこかで喋ってみようか、と。僕が具体的にどんな活動をしていたかとか、辞めた経緯とかも含めて。

©時事通信社

退所から7年が経っていた

 退所して7年も経っていたけど、それまでは、ジャニーズ時代の話はほとんどしてこなかった。ブラジルのテレビの取材などで「ジャニーズ事務所というところにいました」「でも自分の夢を追いかけるために辞めました」と言ったぐらい。日本ではメディアにあまり出られなかったという事情もあった。

 でもキンプリが分裂してしまって、自分と同期で活躍していたジュニアはもうあまりいなくなってしまった。自分がジャニーズ事務所に所属していた、ひとつの時代が終わってしまう。そんな感じがして、どこか寂しさも覚えた。もう自分に嘘をつきたくない。すべて本音で話したい。そう思った。

 では一体どこで話そうか。

 頭に浮かんだのは、あの人だった。