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「かわいすぎる女芸人」としてのグラビアのオファーが

――そこから、モノマネ芸人にシフトを?

おかもと そうですね。「細かすぎて~」の時は「アイドル」の肩書で広末涼子さんのモノマネをしたんですけど、次の日に『週刊プレイボーイ』から「かわいすぎる女芸人」っていうグラビアのオファーが来て、その仕事の後はいつの間にか「芸人」になっていました(笑)。

 

――突然「芸人」になってしまった戸惑いはありましたか。

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おかもと 競艇場の営業ってそこそこお金をいただけるお仕事だったんですけど、競艇の発表待ちでお客さんもネタなんか見てないような感じで、15分の仕事が終わったりするんです。

 そういうお仕事の時は、「私、これでお金もらっていいのかな」って罪悪感を持ってしまって。それに、自分はすぐにテレビから消えるタレントだという認識もありました。

新ネタを考えるのもしんどくなって

――芸能界でサバイブするのはむずかしいと感じられていたんですね。

おかもと 当時ローラさんとかが出てきた頃で、こんなにおもしろい子がいる世界で自分は絶対に生き残れないだろうと思いました。だから当時、温泉に入って広末涼子さんのモノマネをするお仕事をもらうことが多かったので、「私の需要はここだ!」と思い、温泉ソムリエの資格を取ったりして。

 実際、資格取得後は旅番組やワイドショーの中継コーナーなんかのお仕事が急増したので、資格を取ってよかったなと思いました。

 一方で、自分は絶対長続きしないし、長続きさせる気もあまりないようなところもあって。

――タレント以外の道を考えていたのでしょうか。

おかもと 新ネタを考えるのもしんどくなっていましたし、もともと太田光代さんに憧れていたこともあり、制作の仕事をしたかったんです。あと、16歳から働き続けていたので、25歳には結婚して自分の家族を作りたいとも思っていました。

――その思い通り、25歳で結婚。その後は28歳で離婚し、現在はシングルマザーとしてお仕事と子育てを両立されています。お子さんはおかもとさんのお仕事をご存知ですか?