文春オンライン

びしょ濡れレポーター、噛んだら水をかけられて…シングルマザーおかもとまり33歳の波瀾万丈〈元かわいすぎる女芸人〉

おかもとまりインタビュー#2

2023/09/24
note

 広末涼子さんのモノマネで一世を風靡した元タレントのおかもとまりさん。2018年、離婚と同時に精神科病院に3ヶ月間入院していたことをさまざまなメディアで発信し、メンタルケアの大切さを伝えている。

 現在、シングルマザーとして仕事と子育ての両立をするおかもとさんに、入院時の様子や芸能界時代の葛藤、ステップファミリーの経験など、さまざまに話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む

おかもとまりさん

◆◆◆

ADVERTISEMENT

応募したオーディションがたまたまアイドル向けだった

――おかもとさんは昔からモノマネが得意だったんですか。

おかもとまりさん(以降、おかもと) いえ、まったくやったこともなかったです。もともと、爆笑問題の太田光さんのパートナーの太田光代社長にすごく憧れてたんです。裏方に徹して、自分の信じた才能を世の中に送り出す姿勢に感銘を受けました。

 それで、爆笑問題さんが載っていたのでたまたま買った雑誌に「あなたの夢を応援します」と書かれたオーディションが載っていて応募したらそれがアイドル向けのもので、そのまま高校1年生でデビューしたという経緯です。

――アイドル志望ではなかったのに、アイドルになってしまったんですね。

おかもと そうなんです。でも、アイドルといっても何かやりたいことがあったわけではなくて、当時は「『王様のブランチ』のリポーターになりたいです!」と言っていました。

――その目標は達成されたんですか。

おかもと 叶わなかったのですが、のちに、『びしょ濡れレポーターおかもとまり』という、噛んだら水をかけられるお笑いのDVDを出しました(笑)。

モノマネはプラスαの武器としてスタート

――高1からということは、学校と両立しながらアイドル活動を?

おかもと 通信制の学校に通いながら、朝は高崎駅の新幹線のホームでお弁当を売るバイトをして、日中仕事がないときは派遣のバイトもしていました。朝の時間帯は時給がいいんで、よくシフトに入ってたんです。

 東京に来て太田プロダクションに入ったあとも、チラシ配りとか看板持ちとか人数を計るバイトとか工場とか、いろいろやりました。

 本当にお金がなかったので、原宿で1900円の水着を買って使いまわしたり、エキストラを通じて仲良くなった芹那ちゃんから洋服をもらったりしてなんとかやっていましたね。

関連記事