手術を受けた3日後から仕事を開始
いくつも連載を持っていたが、1回も休まなかった。手術を受けた3日後から仕事を始めたのだ。
これには、女房の協力が大きかった。私には、書痙という厄介な障害があり、右手にペンやエンピツを持てなくなっていた。力をこめて字を書く癖があり、その筆圧によって骨が変形し、神経を圧迫する痛みだった。
窮状を救ってくれたのが女房だった。彼女は、字を写し取る才があり、私が原稿用紙を指さしながら文章を喋ると、それを原稿にしてくれるのだった。
普通、入院したり、旅をしたりする前には、書きだめと称するものを徹夜で敢行し、時間を空けるものである。ところが、この回に関しては、夢の中だった。ふわふわと宙を舞い、胃袋を失っていたのである。
病院の環境は申し分がなかった。親友のKは、私のために、特別室を用意してくれていた。広いし、静かだった。しかも、8帖間の和室がついていた。チューブが体から外れると、ベッドから下り、和室にもぐりこんでタバコが吸えるのが有難かった。病院では、どこでも禁煙だ。
わが家に10年間以上居ついた元ジャズ歌手のエツコという人物がいる。彼女はヘビースモーカーであり、ドアが開くと、まず火がついたタバコが現われる。
エツコが入院した。スキルスというちょっと性質の悪いガンだった。そのエツコが、毎朝、6時頃、私の所に電話をしてくる。
「ちょっと、あのう、用事があって」
来てくれと言うのである。何のことはない、私を呼び、付き添いに仕立て、ナースステーションの前を通過するためだった。その後は、外へ出て、タバコをぷかり、ぷかーりである。
体調が悪くてもタバコが吸えないところは拒否
ブラジルはサンパウロで、体調を崩したことがあった。30年来の友、南米通信の尾和君が、病院を手配した。
「さあ、行こう、ムツさん」
しつこく手を引張ったりした。
「断わる! ここまできて病院だなんて」
「いかんよ。おれ、いっしょに行くからさ」
「その病院とやらは禁煙だろ。タバコが吸えないところへ行ってたまるか」
私は、きっぱりそう言った。すると尾和君は、必死でいろんな所をさがし、翌日、
「あったよ。入院室でタバコが吸える所が。これぞムツさん向きだ」
「へえ、どこ、それは」
「イスラエル!」
「ちょっと遠いなあ、行きつく頃には病気が治ってるよ」
「それもそうだね」
尾和君は、私を病院へ閉じこめる案を取下げた。
何もかもなかった。良い、悪い、なんてものじゃなかった。退院は、2週間後。それからというもの、嵐の日々が待っていた。
即ち、病院からホテルに着くと、漫画家の園山俊二が待っていた。それから麻雀である。悪友3人と、次の日まで遊んだ。