2023年4月5日、心筋梗塞のため87歳で亡くなった「ムツゴロウさん」こと畑正憲さん。自然と人を愛し、夢を追い続けたムツゴロウさんは、老若男女問わず、多くの人に愛された。

 ここでは、そんなムツゴロウさんが生前に綴っていたエッセイをまとめた『生きるよドンどん ムツゴロウさんが遺したメッセージ』(毎日新聞出版)より一部を抜粋。2017年に心筋梗塞を発症し、ドクターヘリで搬送されたムツゴロウさんは、どんな容態だったのだろうか——。(全2回の2回目/1回目から続く)

生前の「ムツゴロウさん」こと畑正憲さん ©文藝春秋

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書斎から病院へ

 一睡もしなかった。しなかったと言うより、出来なかった。夜が明ければ、講演の予定が入っているので、昼の便で東京へ出なければならない。 

 書斎には、書く場所が3つあった。そのどこにも、新しい原稿用紙が広げられていた。

 前に座る。どうにも落着かない。不快さが下からこみ上げてくる。

 苦しいのか?

 乗り越えられない苦しさではなかった。これくらいの苦しさは、何度もあった。

 しっかりしろ! と、自分を𠮟咤した。

 次の机。それからまた、次の机。

 そうだ、こんな時は、風呂だ。 

 私は、集中力を増すため、風呂を熱くした。

 入ろうとした、次の瞬間、ぐらりときた。前のめりに倒れた。風呂のふちで左の胸をいやというほど強打した。

 気がつくと、湯の中に仰向けに沈んでいた。普通の人ならうろたえるかもしれない。でも私は、水の中は得意である。ニヤリと笑ってゆっくり顔を出した。

 体をふく。でも、一向に集中力がわいてこなかった。

 ええい、負けるものか。

 1つの机の前で粘ってみた。出かける前までには、やっておかねば。

 妙な苦しさが下から這い上がってきた。 

©文藝春秋

意識がなくなっているなか、何故か「マロニーちゃん」を口ずさむ

 えい、えい、えーい。

 着ているものを、1枚ずつはねとばす。最後には、パンツまでも。

 まっ裸。座っておれなくなった。床に這う。 

 苦しいよ。苦しいよ。

 床を這っている。書庫を這った。ついには廊下へ出る。

 そこへ、女房が起きてきた。 

「あなた! 何をしている……」 

 抱きとめられた。

「暑い、暑いよう」

「駄目じゃないですか。このままだと風邪を引きます」

 女房は、新しいパンツとシャツを私に着せてくれた。

「行くぞう」 

「分かってます」

 ズボンを着用。そうだ、財布。 

 私は深呼吸をした。

「行くぞう!」

 そこへ娘ムコのツヨシ君がやってきた。 

「ムツさん。行きましょう。医者へ」 

「よし、行こう」