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「ああ、やっと、医者へ行くと決心してくれましたか。ママ、ママ!」

 と、ツヨシ君は、私の女房を呼んだ。 

「行きます」

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 裏にある町立病院へGOだ。

 私ときたら、もうすでに意識がなくなっている。 

 何故か、「マロニーちゃん」というコマーシャルソングを口ずさんでいた。

©文藝春秋

ドクターヘリで釧路へ

 町立病院に着くまでは、おぼろげながら記憶はある。しかし、ツヨシの車を降りてからは、何も分からず、なんとか自分の足で玄関を通ったらしい。

 応急処置がほどこされた。 

「これは釧路だ!」

 ヘリコプターが丁度、空いていて、30分後には到着するという。いわゆるドクターヘリという代物である。

 女房と娘が駈けつけてきた。

 病人には麻酔がうたれ、口から管が挿入された。

 女房は、私の手をにぎった。 氷のように冷たかったという。

「急に寂しくなって、ほんと、今生の別れになるかもと思いました」

 後で、しみじみそう言った。

 ヘリの音が近づいてきた。

「釧路から、医師と看護師の2名が乗ってきます。ご家族は無理ですので、車でお願いします」

 釧路には、幣舞町に、循環器系の患者を診る立派な病院があった。

60年以上連れ添った妻・畑純子さんとムツゴロウさん ©文藝春秋

「どうやら心筋梗塞のようだ」

 ヘリコプターが着いた。

 釧路の先生と町立病院の先生とで、専門的な簡潔な会話がかわされた。

 ヘリが飛んだ。 

 ツヨシは、車を左へ。

 日毎に、秋色が濃くなっていく原野の道に出た。きちんと舗装されていて、道は空いていた。ツヨシは、後にこう言った。

「こういう日が、いつかくるだろうなとは思っていました。でも、いざきてしまうと、なんだかポカーンとして、事故だけはいやだぞとアクセルを踏んでました」

 釧路、着。

 三慈会という病院のスタッフが地上に待ち構えていて、あっという間に病人は運ばれた。行先は、集中治療室だった。

「どうやら心筋梗塞のようだ」 

 スタッフは、てきぱきと働いた。 

 心筋梗塞!

 同じ病気で私の父が倒れていた。

 私が駒場祭で上演する芝居の追込みにとりかかっている時のことだった。

 学部での祭りが五月祭。教養学部で行うのが駒場祭だ。

 何をどうするか、クラスで討論した。 

「芝居やろうよ、芝居だよ」

 誰かがそう提案すると、イッパツで決まってしまった。そして、全員が私の方をふり向いて、

「うん、ハタだ。ハタしかいないな」

 と、指名されてしまったのである。芝居には、興味がないわけではなかった。中学2年、3年生の時、自作の芝居を学園祭で上演しているし、高校3年の時は、谷崎潤一郎の『無明と愛染』という芝居の演出をやらされた。その折も、「ハタだ、ハタしかいないよな」と押しつけられたのを記憶している。

 チチ、キトク ハハ

 電報を受取り、私は九州へ飛んで帰った。