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 少し前までは、この「グレーのスペクトラム」について、色相や明度の違いを見極めることができることが大人の条件でした。僕の世代の子供は、大人たちからことあるごとに「人を見る目を持て」と言われて育てられたものでした。

「学歴や社会的地位なんて、まったく信用できないぞ。その人物をよく見ろ」

――「人を見る目を持て」とは今やすっかり死語になりましたね。

内田 それは、やはり戦争を経験した世代にとっての切実な実感だったのだと思います。うちの父は、満州事変の時に中国に渡って、終戦後に日本に帰ってきたので、大日本帝国の興隆から没落まで砂かぶりで見てきた人間です。だから、人間が状況に応じてどれくらい非人間的なふるまいをし、逆に人間的なふるまいをするか、それを見てきたんだと思います。

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 危機的な状況になると、パニックになって使い物にならない人がいる、責任を放り出して自分ひとりだけで逃げ出す人がいる、われ一人のためだけに行動して、まわりを蹴落とす人がいる。権力を持った途端に、いきなり変貌して部下を罵る人がいる……巨大な利権に群がって栄耀栄華の夢を見てきた人たちがいざ敗戦になったときにどう振る舞ったかを父はリアルに知っていたわけです。

 

 ですから、父は、僕の幼少期から折にふれて、「人の学歴や社会的地位なんて、まったく信用できないぞ。とにかくその人物をよく見ろ」と教えていました。それは別に敗戦のようなドラスティックな状況じゃなくても、平時でもわかります。ちょっとしたトラブルがあった時に、「オレは知らないよ」と逃げ出す人間がいれば、「じゃ、僕が片づけておきます」と集団全体のために進んで「雪かき仕事」をする人間がいる。非常時において、仲間を見捨ててひとり逃げる人間か、踏みとどまってしんがりを務める人間か、それは日常のちょっとした挙措からだってわかる。

 でも、「こいつは非常時になったら、仲間を見捨てて逃げ出すような人間だな」と思っていても、平時ではふつうの社会人として遇さなければならない。まだ別に何も悪いことをしてないわけですからね。だから、人間の本性を見定めた上で、その人間にしかるべき仕事を委ねる。非常時には無用の人間だけれど、平時には役に立つということがあるし、逆に非常時にはとても頼りになりそうな人間だけれど、平時はぼんやりしていて使い物にならない……ということもある。