時は文政年間、江戸の芝居町。「仮名手本忠臣蔵」の芝居が終わり誰もいなくなった中村座の枡席で、男の死体が発見された。首の骨を折られ、なぜか両耳に棒が刺さっていたその死体を、奉行所に踏み込まれては厄介だと座元は近くの橋の下まで運び出す。
これが二度目の事件ということもあり、座元は白魚屋田村魚之助(ととのすけ)に相談を持ちかける。以前、芝居町の怪事件を鮮やかに解決した実績を頼んでのことだ。
魚之助は稀代の名女形だったが、ある事件で両足の膝から下を切断。今は舞台を退いている。その魚之助を背負って、ともに探索するのが鳥屋の藤九郎だ。
死体の装飾は何かの見立てに違いないと考えた魚之助は被害者の周辺を探ると同時に、別の可能性も考えていた。魚之助と藤九郎は前の事件で、この世には人外の者が存在することを知っている。今度の事件ももしかしたら――。
2020年に『化け者心中』でデビューするや中山義秀文学賞と日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞、続く『おんなの女房』で野村胡堂文学賞と吉川英治文学新人賞を受賞と、怒濤のスタートダッシュを決めた著者の「化け者」シリーズ第2弾である。魚之助と藤九郎コンビの再登場だ。
細やかな手がかりや巧妙な伏線、意外な展開といったミステリとしての筋立てはもちろん、芝居の描写が素晴らしい。作中で語られる「お軽勘平」や「助六」の粗筋は、それだけで一幕の芝居を見たかのような満足感がある。のみならず、そんな芝居のあれこれが謎解きにかかわってくるのだからまったく隙がない。
だが本書の何より大きな読みどころは芸に生きる者たちの情念の描写にある。
役者がどんな思いで舞台に立っているか。自分の芸を、どこまでどうやって突き詰めるか。芸のためなら何を犠牲にしてもいいという壮絶な描写は圧巻だ。
この「何を犠牲にしてもいい」という思いこそが本書のテーマである。芸とは限らない。人によっては、それが義であったり恋であったりする。怖いのは「何を犠牲にしても」が「これほどの犠牲を払える自分こそ至高」という認知の歪みに変わっていくくだりだ。複数の執念が渦を巻く後半の読み応えたるや。
注目願いたいのは、最たる化け者だった魚之助が、舞台を離れ化け者でなくなりつつある自分に衝撃を受ける場面である。芝居の世界しか知らない彼は化け者でいることが矜持なのだ。
認知の歪みによる悲劇を描きつつ、探偵役がその歪みの真ん中にいるという捩れ。そんな魚之助だからこそ解決できるという矛盾。それがこの「化け者」シリーズの核にある。
テクニカルなミステリの仕掛け、専門知識に裏打ちされた芝居描写、そして情念の物語。三拍子揃った逸品である。たっぷりとお楽しみいただきたい。
せみたにめぐみ/1992年大阪府生まれ。2020年『化け者心中』で小説 野性時代 新人賞を受賞しデビュー。22年に刊行した『おんなの女房』で野村胡堂文学賞、吉川英治文学新人賞を受賞。
おおやひろこ/1964年生まれ。書評家・文芸評論家。著書に『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』など。