まるで長く凍りついた氷河が溶け、濁流となったようにも映る。外部専門家によるチームは調査報告を公表し、そこで指摘したのが、「マスメディアの沈黙」だった。
日本でトップのエンターテインメント企業、そのスキャンダルを報じれば、どうなるか。テレビ局は、タレントの出演を拒否され、雑誌は、記事を掲載できない。その危惧から、報道を控えた。そして、メディアの批判を受けず、「ジャニー氏による性加害も継続されることになり、その被害が拡大し、さらに多くの被害者を出すこととなった」という。
今後、各メディアで自己検証が始まるだろうが、じつは、それに格好の材料がある。今から半世紀前、文藝春秋が掲載した「田中角栄研究 その金脈と人脈」、そして、ジャニーズならぬ田中担当記者の姿だった。
約50年前の“田中角栄金脈研究”とジャニーズ報道の一致点
戦後の総理大臣の中で、田中角栄は、異色の存在と言える。
雪深い新潟の農家に生まれ、小学校卒の学歴しかない。裸一貫で上京し、やがて建設会社の経営を経て、政界入りした。持ち前のバイタリティー、エリート官僚を操る手腕で、頭角を現す。そして、総理の座を掴み、長年の課題の日中国交回復も成し遂げた。それに国民は熱狂し、「今太閤」「庶民宰相」「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた。その人気は、今も彼についての本が出版されることで分かる。
同時に田中は、「金権政治」というダーティーな評価がついて回った。権力の階段を登る中で、政界に札束をばら撒いたという疑惑だ。それを、正面から取り上げたのが、ジャーナリストの立花隆と文春取材班だった。
文藝春秋(1974年11月号)に載ったレポートは、田中が、どうやって資産を膨らませたかを克明に描いた。特に目を引いたのが、幽霊会社、ダミー会社を使った土地取引だ。田中の金作りの基が「土地」にあるのは、すでに知られていた。だが、不動産の登記簿謄本まで集めた記事は、初めてだった。買い占めはもちろん、親しい実業家への国有地払い下げも目立った。
雑誌が発売されたのは10月9日で、当初、新聞やテレビ局は静観していた。流れが変わるのは、同22日、日本外国特派員協会の昼食会に、田中が招かれた時だ。ここで、海外メディアの記者は、相次いで文春の記事について質問した。金脈は一気に注目され、新聞がトップ扱いで報じる。そして翌月、田中総理は退陣を表明したのだった。