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 20年前、文春の記者と会って気づいたが、彼らは、性加害の現場の「合宿所」、その間取りも確認していた。ここまでやって、「知っている」となる。その意味で、ジャニー喜多川氏は、ジャーナリズムの最高の教材とも言えた。

 ジャニーズ事務所が、これからどういう道を歩むか、予測するのは難しい。創業家の社長が辞任し、後任に東山紀之氏が就いたが、批判は止まない。“解体的出直し”ではないという。大手企業が広告契約を打ち切り、社名変更、タレントの移籍も取りざたされる。

©文藝春秋

30年前、自民党は分裂した。果たしてジャニーズ事務所の行く末は……

 ここで思い出すのが、かつての自民党の分裂劇だ。

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 1993年6月、自民党の小沢一郎、羽田孜らは、野党の内閣不信任案に賛成し、離党した。そして、羽田を党首に「新生党」を結成、政界再編をめざした。その後、党は新進党に変わり、小沢も自由党などを経て、今の立憲民主党に至る。

 そして、この時、新聞に、新生党をこき下ろす文章を寄稿した男がいた。「田中角栄研究」を書いた立花隆だった。

「羽田新党とは何か。あなた方は、要するに経世会の分裂した片割れではないか。経世会とは何か。要するに旧田中派ではないか」

「田中が病気に倒れると、看板を経世会とかけかえただけで、田中派時代と全く同じように、金の力と数の力で政治を支配し、権力のうま味を思う存分吸い取ってきたのが、あなた方ではなかったか」

「ついこの間まで大親分の集めた黒い金を喜んでもらっていたのは誰なのか。政治改革という錦の御旗を振り回していれば、そういう恥ずべき過去をみんな忘れてくれるとでも思っているのだろうか」

「自分たちの過去にけじめもつけずに、何が新生だ。ちゃんちゃらおかしい」(「朝日新聞」1993年6月24日)

 その8年前、田中は脳梗塞で倒れ、政治力を失った。そして、小沢や羽田は、自民党を出て政治改革を唱え、新党を結成した。だが、彼らこそ、田中派の中核だったではないか。そうした矛盾への強烈な皮肉だ。名前を変えただけでは、“解体的出直し”にならない。

 金と数の力で君臨した派閥は、田中の退場で、あっけなく消えた。その後継者は、離合集散を繰り返し、漂流していく。ジャニーズ事務所が、はたして同じ道を歩むか、じっくりと観察したい。