「どうだい、噛まれても痛くないように、もっと厚手の着物を着たら」と、忠告する者もいた。
とんでもない。肉が欲しいのなら、噛みちぎって食べろ。
私は覚悟を決めていた。
発情期になると、危ない? どう危ないのだ。おれは殺されるのか。ようし、それならそれでいい。やってみなければ、分からない。誰も見たことのないウドンゲの花。
噛まれて咬まれて
イテッ、イテテテ。痛いぞ、コラ。
ふくらはぎに噛みついた子グマに、私は顔を近づけた。手で相手を追い払いもしなかった。駄目! と声を大きくすることもなかった。
子グマは思いっきり噛みついている。その犬歯は、1センチ以上深く肉にくい込んでいる。
風呂に入るとき、数えると、歯の痕は200ではきかなかった。私は、止血も消毒もしなかった。バンソウコウを貼りもしない。ホータイもなし。
一度目は、まだいい。前に噛まれて腫れている部分をくわえられた際の痛さといったらなかった。思わず、ヒェッと叫び、腰を浮かすほどだった。
全身傷だらけになる。そしてふと、耳たぶが無傷であるのに気づく。もし動物が攻撃性を増し、相手をやっつけるためなら、耳を狙うはずだ。
トルコの東部、あのクルド人がたくさんいる地帯に、カラバッシュという牧羊犬がいる。
これは子犬の頃、主に耳のつけ根から切り落とされる。オオカミと闘わなければならないからだ。まず、狙われるのが耳である。今でも、耳を落とす習慣は残っているし、私が訪れた時も、「昨夜オオカミが出て、羊をやられた」と牧場主が顔をしかめていた。
だとしたら、子グマが噛むのは、単なるいら立ちか。
――おれは何をしているのだろう。こんなことをしてなんの役に立つのか。
日を重ねるたびに、そんな反省が胸に湧く。
――おれはこの子を母親から引き離した。この子の幸せにならないのではないか。
そう思って、馬鹿なと打ち消した。犬や猫、牛や馬、動物園で飼われている動物たち、それらにとっての本当の幸せとは何か、そう考えるのは精神の衰弱だと私は常に教えているではないか。
大切なのは、今、だ。今ここにこうして共に生きている。