ある日、一緒に暮らしていたヒグマの発情期に直面したムツゴロウさん。目の前にお尻を突きつけられた、ムツゴロウさんが取った「驚きの行動」とは?
2023年4月の亡くなる直前まで執筆していたエッセイをまとめた『ムツゴロウさんの最後のどうぶつ回顧録』(集英社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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ハマナスの花
カッコウの声が林に響いた。下の浜に波が打ち寄せる。その波音さえ、なまめかしく感じられた。
ヒグマ飼育3年目。
私はコンクリートで、完璧なクマ舎をこしらえていた。冬眠室がふたつ。運動場、プール、そして私のベッドと机。
食事は、ときにクマと一緒だった。スキヤキなどの場合、ご飯にかけて持っていった。それなら、クマと一緒に同じ皿から食べられた。
クマは、私を信頼するようになっていた。スキヤキの肉片をつまむと、クマは首を伸ばしてくわえる。私は、指を口の中に差し込んで、引っ張る。相手の歯を利用して、肉片が半分になる。
「ははは、それ、半分ずつだぞ」
スイカなどは、丸ごと持っていった。クマは前脚で圧さえ、全体重をかけて割った。
ゆで卵が好物だった。私は、クマの額にぶつけて卵を割る。これが嫌いだった。ぶつけると、低くうなって抗議した。でも、皮をむいてやると、相好を崩して喜んだ。
ある朝のことだ。
朝食をすませ、パンにバターをたっぷり塗ったものを持ち、いつものようにクマ舎に足を踏み入れた。
と……。
クマが左右に首を振って近づいてきた。
ガブリ。
私の右肩を大きく、くわえている。
でも、力は入っていなかった。
クマの体の中心から、ううーっ、といううめき声が聞こえた。
首を曲げて、横を見た。クマの口。よだれが流れて出ている。私は首を思いっきり横にまわし、舌を伸ばして、クマの上唇を舐めた。
もどかしそうだった。
もし、人だったら。首に手を回し、私の唇にキスをしているだろう。お前、どうしてクマなんだ。
中に入り、腰を下ろし、両膝を抱えている。すると、その私の両足の間に、顔を圧しこんできた。すごい力だ。そのまま後退する。そして、コンクリートの壁に圧しつけられる恰好になった。
クマは、ぐいぐい圧してくる。圧倒的な力だ。そのままにしておくと、肋骨が折れただろう。体を斜めにして、やっと力をそらす。
発情。
ついにきたか。
何度もほかの人に脅されてきた発情がついにやってきたか。
すでに怖さはなくなっていた。
殺さば殺せ。