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 私は、宙に浮いている足で、クマの尻を蹴ってみた。

第一章 ヒグマのどんべえと暮らした日々 「クマにまたがり」より(イラスト:本人)

 歩いた。すたすた。軽やかに。

 クマは、私を乗せて運動場を歩いたのだ。

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尽きせぬ迷い

 一時期、野生動物は自然の中で観察してこそ、正しい学問になると説く人が増えた。それも一理である。しかし、そうとばかりは言えない側面もある。正しいかどうかは知らないが、近づいて抱いてみなければ分からない心のひだがある。

 そもそも私は、動物になってしまいたいという、途方もない夢から出発した。

 なれるわけはないのだ。

 それは最初から分かっているのだが、でも近づきたかった。這いつくばってもいい。殺されるぐらい何だ。常に心の中には、赤いマグマのようなものがあった。

 そんなの学問じゃない?

 上等じゃないか。学問だけが真実を探し当てるわけではないぞ。

 私は胸の内でぶつぶつ囁きながら、わき道へともぐりこんで行った。

 鼻の件がそうだ。クマは私を座らせ、尻を私の顔に圧し当て、“花びら”を押しつける。

 私は、当然、考える。

「おれの鼻は何だ。一体、何と思ってやがる。マスターベーションの道具か」

 動物だってマスをかく。

 春、馬房に閉じ込められたオス馬は、一物をそそり立てる。それをブラブラさせて腹にぶつける。リズムが速くなる。白い液がほとばしる終点までいってしまう。

 サルのものは有名だ。前足、つまり手を使えるからだ。これを「サルマス」という。

 クマの後部で開く花弁は、赤くて、きれいである。でも、美しいからといって、人とは違う。どんなに動物と一体化したいと願っても、クマと交尾をしたいという欲望は、私の中にはかけらもない。

 悩ましいところだ。

 このクマを、それでは愛していないのか。好きだ。愛している。そう断言出来る。

 愛――。

 本当に不思議なものである。好きということと、交尾とは違うのか。

 私は、クマのいろいろな部分をさわりまくった。乳房、乳首、その周辺。後肢の付け根、胸からわきにかけて。