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古代エジプトと現代イギリスには共通点はあるのか…新たな視座を教えてくれる“国家の起源の探求”

『万物の黎明』より

note

 人類の歴史は、これまで語られてきたものと異なり、遊び心と希望に満ちた可能性に溢れていた――。考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく『万物の黎明』(光文社)より一部抜粋。全世界で注目を集めている本書より、ここでは「国家」の起源を解き明かす。

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国家とはどのように定義されるのだろうか

「国家の起源」の探求は、「社会的不平等の起源」の探求とほとんどおなじくらい古い。そして、それとおなじくらい熱い議論が交わされてきた。そしてまた、多くの点で、それとおなじように骨折り損である。今日、世界中のほとんどの人間が、国家の権威の下で暮らしているとふつうには考えられている。

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 おなじように、ファラオ時代のエジプト、殷の中国、インカ帝国、ベニン王国などの過去の政治体も、国家ないし、すくなくとも「初期国家」とみなしてよいという感覚は浸透している。しかし、国家とはなにかについて社会理論家のあいだにコンセンサスがないため、問題は、これらの事例をすべて包摂しながら、それでいて、ガバガバすぎて無意味にならないような定義をどのように設定するか、になる。ところが、これが意外とむずかしいのである。

©️AFLO

「国家」という言葉が一般的に使われるようになったのは……

「国家」という言葉が一般的に使われるようになったのは、16世紀後半になってからのことである。フランスの法律家ジャン・ボダンが、この言葉をひねりだしたのがことのはじまりだ。ジャン・ボダンは、魔女、狼男、邪術師の歴史などをテーマにした、影響力のある論文を執筆した人物でもある(さらにボダンは、女性に対する極度の憎悪によっていまだに記憶されている)。しかし、おそらく最初に体系的な定義を試みたのは、ルドルフ・フォン・イェーリングというドイツの哲学者であろう。

 かれは19世紀後半に、「国家とは、所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関である」とする定義を提起した(この定義は、それ以降、社会学者マックス・ヴェーバーのものとみなされるようになる)。すなわち、まずある一定の範囲の土地の領有権を主張する。そして、その境界線の内部では、人を殺害すること、殴打すること、肉体の一部を切断すること、監禁することをゆるされる唯一の機関がわれなりと宣明するイェーリングの定義によれば、そのとき、政府は「国家」となるのである。

 フォン・イェーリングの定義は、近代国家にはかなり有効であった。ところが、人類史のほとんどにおいて、支配者はそのような大仰な主張をしていなかったことがすぐにあきらかになった。あるいは、われは強制力を独占するものなり、などと口ではいうが、そこにはほとんど実質がなかったのである。つまり、その主張は、われは森羅万象を支配するものなりといった言明と変わるところがなかったのだ。

 フォン・イェーリングやヴェーバーの定義を保持するならば、たとえばハンムラビのバビロン、ソクラテスのアテネ、征服王ウィリアム支配下のイングランドなどは、まったく国家ではないと断じるか、あるいはもっと柔軟でニュアンスのある定義をひねりだす必要にせまられることになろう。マルクス主義者にも、国家の定義がある。