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古代エジプトと現代イギリスには共通点はあるのか…新たな視座を教えてくれる“国家の起源の探求”

『万物の黎明』より

note

20世紀のほとんどを通して社会科学者が行なったこと

 かれらによれば、国家が歴史的にはじめて登場するのは、新興支配階級がわが権力を防衛するためである。他者の労働力に依存して日常的生活をいとなむ人間があらわれるや、かれらは必然的に支配の装置を構築することになる。公式的にはみずからの所有権を守るため、実質的にはみずからの優位性を保つためにである(まったくルソー的思考の系譜に属している)。

 この定義ならば、バビロン、アテネ、中世イングランドは、あらためて国家の名に値するものとなる。だが、それはまた、搾取をどのように定義するかなどといった、あたらしい概念上の問題も導入した。また、リベラル派にとっては、このような定義は、国家が善良なる機関となる可能性を排除するものであり、好ましくないものだった。

©️AFLO

 20世紀のほとんどを通じて、社会科学者たちは、国家をより純粋に機能的観点から定義することを好んだ。社会が複雑になるにつれ、あらゆるものごとを調整するため、トップダウンの指揮構造を形成する必要性が高まってきたと主張したのである。現代の社会進化論者のほとんどが、基本的にこの論理を踏襲している。そこでは「社会の複雑性」を示す証拠があれば、反射的にそれはある種の統治機構の存在を示す証拠とみなされる。(たとえば、都市、町、村落、小村といった)4段階の集落ヒエラルキーについて語るとして、それらの集落のすくなくとも一部にフルタイムの専門家(土器づくり職人、鍛冶屋、僧侶や尼僧、職業兵士や音楽家)がいたとすれば、それを管理する装置は、それがどのようなものであれ、事実上、国家でなければならない。

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 そして、その装置が実力の独占を主張したり、めぐまれぬ労働者の労苦で生活するエリート階級を支えたりはしていなかったとしても、遅かれ早かれそうなることは避けられなかった、とこういうわけだ。この定義にも利点はある。とりわけ、断片的な遺物からその性質や組織をあきらかにしなければならない超古代社会について推測するばあいには、この定義は役に立つ。とはいえ、その論理は完全に循環している。基本的には、それは「国家は複雑であるからして、複雑な社会組織は国家である」といっているにすぎないからである。

大規模で複雑な社会には必ず国家が必要なのか?

 実のところ、前世紀の「古典的な」理論的定式化のほとんどすべてが、まさにこの想定から出発している。つまり、大規模で複雑な社会には必ず国家が必要だという想定だ。とすれば、真の争点は、以下の点にある、なぜそうなるのか? なにがしかの筋の通った実際的理由からか? それとも、そのような社会は必然的に物質的余剰を生みだすからなのか? すなわち、物質的余剰があるならば、―たとえば太平洋岸北西部の魚の燻製のように ―分け前を他より多く手に入れようとする人間たちが必然的に存在することになるからか?