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古代エジプトと現代イギリスには共通点はあるのか…新たな視座を教えてくれる“国家の起源の探求”

『万物の黎明』より

note

 第8章ですでにみてきたように、最初期の都市に対して、このような想定はとりわけ有効ではない。たとえば、初期のウルクは、いかなる意味でも「国家」ではなかったようにおもわれる。それに、古代メソポタミア地域でトップダウンの支配が出現したとしても、そこは低地の河川流域に位置する「複雑な」大都市ではなく、周辺の山麓に位置する小規模な「英雄」社会だった。

 ところが、それらの社会は行政管理の原理を嫌っていたため、結果的にこれもまた「国家」とみなしえないようにおもわれる。後者のグループ[「英雄」社会]に民族誌的に比肩しうるものがあるとすれば、それは北西海岸の社会かもしれない。というのも、そこでも政治的リーダーシップは、自慢好きで虚栄心の強い戦士貴族の手にゆだねられ、かれらは、称号や財宝、平民の忠誠や奴隷の所有権をめぐって派手な争いをくり広げていたからだ。ここで想起してほしい。ハイダ族やトリンギット族らは、国家装置と呼べるものをもたないだけではなかった。かれらはフォーマルな統治機関のすべてを欠いていたのだった。

国家が不在であっても可能なこと

 すると「国家」は2つの統治形態(官僚的形態と英雄的形態)が融合したときにはじめて出現したのだな、と考えるむきもあるだろう。それもありえないわけではない。しかし、それと同時に、そもそもそんな問いに本当に意味があるのか、と疑義を呈することも可能だ。

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 国家が不在であっても、君主支配、貴族支配、奴隷制、極端な形態の家父長制の支配は可能であり(実際にあきらかに可能であった)、国家がなくても複雑な灌漑システムを維持したり、科学や抽象的な哲学を発展させたりすることが同様に可能であるならば(これもまた実際にそうであったようにおもわれる)、ある政治体は「国家」であって、ある政治体は「国家」じゃないと区分することで、人類の歴史について本当に意味あることを学ぶことができるのだろうか? もっと退屈でなく、もっと重要な問いがあるのではないだろうか?

 この章では、その可能性を探ってみたいとおもう。古代エジプトと現代イギリスの統治機関のあいだには深いところで共通するものがあるにちがいないから、それを正確に解明しなければならない、というふうに考えるのではなく、問題全体をあらたな視角から検討してみるなら、歴史はどのようにみえてくるだろう。都市が誕生したほとんどの地域で、やがて強力な王権や帝国が誕生したことはまちがいない。

 しかし、それらにはどんな共通点があるのだろうか? はたして実際に共通点はあったのか? それらの出現は、人間の自由と平等、あるいはその喪失の歴史について、なにを物語っているのだろうか? それ以前のものとの根本的な断絶を示すものがあるとすれば、それはどのようなものだろうか?

万物の黎明 人類史を根本からくつがえす (翻訳)

万物の黎明 人類史を根本からくつがえす (翻訳)

デヴィッド・グレーバー ,デヴィッド・ウェングロウ ,酒井隆史

光文社

2023年9月21日 発売

古代エジプトと現代イギリスには共通点はあるのか…新たな視座を教えてくれる“国家の起源の探求”

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