廣瀬俊朗――。すでに現役を引退したが、リーチとは東芝ブレイブルーパスの同僚で、前任の日本代表キャプテンである。廣瀬は日本人として、どのように多国籍の選手たちを一つのチームとしてまとめたのだろうか。
リーチが外国人選手と日本人選手の接着剤に
2019年4月1日。キャリーケースを引いてあらわれた廣瀬と藤沢駅近くの喫茶店に入った。この足で大阪に向かって、翌日に花園で催される子どもを対象にしたラグビークリニックに参加するのだという。
「マイケルは言葉の問題を気にして、キャプテンは純粋な日本人の方がいいのではないかと考えていたようですね。でもぼくがキャプテンのころから、マイケルが外国人選手と日本人選手の接着剤の役割を果たしてくれていました。ナイスガイで優しいですからね。彼がキャプテンにならない理由はなかったと思いますよ」
1981年生まれの廣瀬は大阪府出身。北野高校、慶應大学、東芝ブレイブルーパス、そして日本代表と所属したすべてのチームでキャプテンを経験したプレーヤーである。エディー・ジョーンズにして「自分の人生でナンバーワンのキャプテンだ」と言わしめたと聞く。
チームとして一貫していたのは、仲間を大事にすること
「日本代表のキャプテンをやってほしい」
2012年3月、東芝ブレイブルーパスの本拠地近くの分倍河原駅近くのカフェで、廣瀬はエディーから打診を受ける。
当初エディーは日本人中心のチームづくりを模索していた。招集された代表メンバーもリーチ以外は日本人選手だった。そのメンバーでアジア5カ国対抗や、フィジーやサモア、トンガと争うIRBパシフィックネーションズカップを戦った。この時期にチームの土台ができたと廣瀬は感じている。
「チームとして一貫していたのは、仲間を大事にすること。ハードワーク。この根っこを代表のコアメンバーで共有できた。うまく言葉にはできませんが、自分たちはこういうチームなんだという意識が生まれた。そのベースに海外出身の選手たちが溶け込んでくれた。こうしたプロセスがよかったのかもしれませんね」
廣瀬たちは海外出身選手たちをどのような形でチームに受け入れていったのか。