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エーゲ海で船上挙式を行なった

 1973年5月7日、私と陽子はギリシャのエーゲ海で、2人だけの船上挙式をした。

 当時は2人とも仕事で忙しく、できることなら日本の喧騒を逃れ、外国で結婚式をしたいと思ったのだ。

 エーゲ海を選んだのは、2人とも一度は行ってみたかったから。芸術家の池田満寿男さんが『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞したり、ジュディ・オングさんがエーゲ海を題材にした歌謡曲『魅せられて』を歌ったりした、何年も前のことである。おそらく、私たちがエーゲ海で船上挙式をした最初の芸能人カップルだったと思う。

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 結婚後の新居は文京区の川口アパートメントだった。小説家の川口松太郎さんが建てたマンションである。『キイハンター』で共演した川口浩さんは川口松太郎さんの息子であり、その縁で私たちは、ここに入居した。私たち以外にも多くの芸能人が住んでいた。

 陽子との生活は新鮮で、充実していた。今振り返っても楽しかった思い出しかない。夫婦喧嘩をしたこともなかった。

 私がスキーを覚えたのは陽子の影響である。つきあい始めて間もなく奥志賀に行ったのだが、彼女の滑る姿の美しさといったら、なかった。どうやらフランス仕込みらしく、ゲレンデを颯爽と滑って行く。ところが、こっちはスキーなんてしゃれたスポーツは、それまで一度もやった経験がない。しかし、スポーツ万能を自負する千葉真一としては彼女に勝てない現実を受け入れられない。

 持ち前の負けず嫌いがムクムクと頭をもたげ、必死でスキーをマスターした。気がつけば、いつの間にか彼女のレベルを超えていたが、その頃にはスキーというスポーツの面白さに、すっかり取り憑つかれていた。とにかく滑ることが楽しくてしょうがないのだ。

元妻・野際陽子の影響でハマったスキー

 結婚して1年後にはテレビのドキュメンタリー番組『千葉真一4000メートルのマンモスマウンテンを滑る』(東京12チャンネル/現・テレビ東京系)にも出演した。撮影中、もう少しで山から落ちそうになったのは自分の腕を過信してしまったからだった。

樹里と名前を付けたワケは……

 待望の娘(真瀬樹里)が生まれたのは結婚3年目のことである。「樹里」と名づけたのはその頃からアメリカに進出し、いつか必ずハリウッド映画に出てやるんだという気持ちがあったからに他ならない。「ジュリ」なら一緒に向こうに行っても、アメリカ人も呼びやすい。

 しかし、樹里を女優にしようという気持ちはなかった。彼女が自分の意思で演技の道を選んだのだ。映画『キル・ビル』やNHKの大河ドラマ『風林火山』で共演できたのは素晴らしい思い出だ。