2021年8月19日、新型コロナウイルス感染症による肺炎のため82歳でこの世を去った千葉真一。ここでは国内外で長きに渡り活躍したアクションスターが、最後に残した自叙伝『侍役者道~我が息子たちへ~』(双葉社)より一部抜粋。愛息・新田真剣佑と眞栄田郷敦へのメッセージを紹介する。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
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「パパ、ぼくやってみたいよ。きっとできるから」
長男の真剣佑が生まれて初めて演技らしいことをしたのは、8歳のときだ。ちょうど夏休みに日本に来ていて、私の出演ドラマ『アストロ球団』(テレビ朝日系)の撮影を見学していたときだった。そこで、監督の目にとまり、急遽、出演が決まったのである。
ドラマの登場人物の一人、峠球四郎(金児憲史)に石をぶつけ、その後で地面に放り投げられる少年の役だった。このとき、私が教えたのは演技というより、投げられ方だ。すでに極真空手をやっていたこともあり、投げられるだけの動きにも勘の良さが感じられた。
これが2005年のことで、その2年後には映画にも出演することになった。私が井出良英さんと共同監督を務め、主演もした映画『親父』で、私の子ども時代を演じたのである。
当初、真剣佑を起用する予定はまったくなかったのだが、井出監督が「千葉さんに似ているから」と、真剣佑にゾッコンだった。
「とてもじゃないが、無理ですよ。演技の経験なんてないんだから」
私が断ろうとすると、横にいた真剣佑が、すぐに口を挟んだ。
「パパ、ぼく、やってみたいよ。きっとできるから」
こうして、真剣佑のスクリーンデビューが決まったのである。
映画の印象を左右する重要なシーンが一つあった。家に戻ったら、カマドの前で母親が倒れている。そして、母親の死に直面して驚くシーンである。
「いいか、パパが今からやってみせるから、目を凝らして見ていなさい」
NGを出すことなく、鮮やかに演じ来た真剣佑
そう言って、私は自ら演じて手本を見せた。すると、一度見せただけなのに、真剣佑はNGを出すことなく、鮮やかに演じ切ったのである。私も監督、スタッフも、その吸収力に舌を巻いた。妻の玉美に至っては完成した作品を観て、真剣佑が演技をした場面で号泣したほどである。
「ひょっとしたら、天性の役者なのかもしれない」
そう思ったのは、このときだ。
しかし、だからと言って、子役として仕事させる気はなかった。高校卒業までは学業が優先だ。10代のうちは芸能界ではなく、学校で学ぶべきことがたくさんあるし、あとは好きなスポーツや音楽に打ち込めばいい。進路を決めるのは、それからだ。本人も同じ気持ちだったと思う。
それでも中学時代に、どこで声がかかったのか、日本向けの英会話の映像教材に出たことがあった。このときも、英語のセリフを短期間で暗記してしまった。
高校時代の夏休みにはアルバイト感覚で短編映画に出演した。
「パパ、夏休みにアルバイトしていい?」
「学校のほうは大丈夫か。お金がないわけじゃないだろう。どうしてアルバイトなんかするんだ?」