2021年8月19日、新型コロナウイルス感染症による肺炎のため82歳でこの世を去った千葉真一。ここでは国内外で長きに渡り活躍したアクションスターが、最後に残した自叙伝『侍役者道~我が息子たちへ~』(双葉社)より一部抜粋。22年連れ添った愛妻・野際陽子との記憶を辿る。(全3回の2回目/#1続きを読む)

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千葉真一が22年連れ添った野際陽子と別れた理由

 私と(野際)陽子は話し合いの末、22年間に及んだ結婚生活にピリオドを打った。1994年2月のことである。

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©文藝春秋

 家族で一緒にアメリカに行きたい私に対し、陽子の考えはこうだ。

「アメリカでは主婦としてなら、やっていけるかもしれません。でも、女優を続けることは、まず無理。あなたが俳優としてハリウッド映画に出て勝負したいように、私も日本で女優の道を続けていきたい」

 陽子も俳優という仕事の面白さ、奥の深さが、ちょうど分かってきた頃だった。2年前の92年にはドラマ『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)で佐野史郎さんが演じた「冬彦さん」を溺愛する母親を演じ、日本中の話題を集めていた。年齢的にも50代半ばとなり、女優として円熟期を迎えていた。

 私も陽子の気持ちは痛いほど理解できた。であれば、お互い自分の夢を追うしかない。つまり、夫婦ではなくなるが、友達同士の関係になるわけだ。憎しみも恨みも一切ない。だから、財産分与も慰謝料もなかった。私としては「一時的に別れるだけさ」という程度の気分だった。

 離婚記者会見も暗い雰囲気がまるでないから、逆に驚いた人も多かったようだ。けっして後ろ向きの離婚ではなかったし、お互いの新たな門出を祝うような気分だった。なにしろ私は会見中、ずっと陽子の手を握っていたのだから。

野際陽子の第一印象は最悪だった

 陽子との出会いは、68年から始まったテレビドラマ『キイハンター』である。実は、第一印象は最悪だった。

 撮影前にスタッフから紹介された彼女は、小声でポツンとあいさつした。

「野際です」

 私は、それまで一面識もなく、彼女が女優ということさえ知らなかった。なんだか感じの良くない女性だなと思っていると、ボスを演じる丹波哲郎さんが例の明るい調子で声をかけた。

「おう、野際君か。よろしく頼むよ」

「はい。よろしくお願いします」

 それでも、私には目も合わせようとしない。よそよそしいというか、ちょっとお高く止まっている感じは、私の嫌いなタイプの女性と言ってよかった。

 それも、そのはずである。立教大学時代に「ミス立教」に選ばれ、卒業後はNHKにアナウンサーとして入局。退社後はフリーに転身し、フランスにも留学した。