彼女の殺陣は親の欲目なしに超一流である。
私は家を留守にすることが多かったから、子育てや家事を頑張ってくれたのは、もっぱら陽子だった。
飲食店事業でつまずき多額の借金返済に追われた日々。
私が後輩の俳優やJACのメンバーを連れて来たときなども、手際よく料理を作ってくれた。陽子の十八番はスパゲティである。
トマトソース、バジルソース、クリームソース、チーズソース、タラコを使った和風ソースなど何種類ものソースを作り、みんなが好き好きのソースをスパゲティにかけて食べるのだが、これがどれも絶品だった。陽子自身は私たちがバクバク食べるのを見ながら、にこやかにワインを飲んでいたものだ。
2人で出演した「ハウスジャワカレー」のCMも懐かしい。評判が良かったらしく、ずいぶん長い間、出させてもらった。ハワイで撮影するときは樹里も一緒だったから、ちょっとした家族旅行の気分だった。
ただ、陽子には苦労をさせてしまったという気持ちもある。とりわけ結婚して10年が過ぎようとしていた頃、私が飲食店事業でつまずき、多額の借金を抱えたときだ。お互い仕事の選り好みをせずに、なんでもやった。私の稼ぎは借金返済に回し、陽子の収入で家計を支えたこともあった。
野際陽子が語っていた千葉真一との結婚生活
こうした苦労を共にしたことで、夫婦の絆はさらに強まった。そして、ともに50代となり、目の前には別々の道が開けた。だから、夫婦という関係を解消し、友達同士の関係へと戻ったのである。
陽子は親しい友人に、こんな説明をしていたようだ。
「私たちの結婚生活は完成したの。つまり、離婚ではなくて、完婚。だから、すっきり別れられたのよ」
いかにも陽子らしい、知的な発想である。
彼女の、その後のテレビでの活躍を見て、私は別れて正解だったことを痛感させられた。私自身は家庭に入ることを強制したわけではないが、妻としての責任を果たそうと頑張っていたのは明らかだった。
私と別れ、野際陽子は芸能界で自由溌剌と生き始めたのである。悪女っぽい役もこなしたし、『浅見光彦シリーズ』などでは穏やかな母親を好演した。演じる幅も広いから、テレビドラマでは引っ張りだこ。チャンネルをひねると、決まって、どこかの局で陽子の顔を見かけるほどだった。
遺作は倉本聰さんが脚本を書いた『やすらぎの郷』(テレビ朝日系・17年)。老人ホームで起きた出来事を元に小説を書いている元女優という役で、闘病中の身でありながら、ギリギリまで出演を続けた。女優として本望だったと思う。見事な役者魂を見せてくれた。
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